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第1回 開 催 日 平成23年9月12日 審議形態 委員会運営打合せ 第2回 開 催 日 平成23年10月11日 審議形態 参考人及び理事者質疑 【参考人】 滝田 泰博(長崎県農業振興公社事務局長) 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第3回 開 催 日 平成23年10月19日 審議形態 証人尋問、参考人及び理事者質疑 【証人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【参考人】 中尾 義秋(当時の大村市農業委員会会長) 藤田 豊 (当時の大村市農業委員会事務局長) 田中 茂樹(当時の長崎県農業会議事務局長) 一瀬 正勝(当時の大村市農業水産課長) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第4回 開 催 日 平成23年11月7日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 木村 務 (当時の諫早湾干拓地農業者選考委員会委員長) 副島 宏行(当時の諫早湾干拓地農業者選考委員会委員) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第5回 開 催 日 平成23年11月22日 審議形態 証人尋問、参考人及び理事者質疑 【証人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) 松永 隆志(当時の諫早湾干拓室参事及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【参考人】 滝田 泰博(長崎県農業振興公社事務局長) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第6回 開 催 日 平成23年12月6日 審議形態 証人尋問、参考人及び理事者質疑 【証人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) 松永 隆志(当時の諫早湾干拓室参事及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【参考人】 滝田 泰博(長崎県農業振興公社事務局長) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 江藤 博之(農産園芸課長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第7回 開 催 日 平成23年12月19日 審議形態 証人尋問、参考人及び理事者質疑 【証人】 中尾 義秋(当時の大村市農業委員会会長) 山開 博俊(当時の諫早市農業委員会会長) 藤田 豊 (元大村市農業委員会事務局長) 吉崎 邦幸(元大村市農業委員会事務局長) 一瀬 正勝(当時の大村市農業水産課長) 中山 勝 (当時の諫早市農業委員会事務局長) 【参考人】 田中 茂樹(長崎県農業会議事務局長) 【理事者:農林部】 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 江藤 博之(農産園芸課長) 第8回 開 催 日 平成24年1月10日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証人】 谷川 喜一(株式会社T・G・F前代表取締役) 小柳 険一(株式会社T・G・F代表取締役) 永田 久弥(株式会社谷川建設経理課主任) 山田 秀一(当時のカルビーポテト株式会社 鹿児島事務所ブロックリーダー) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 江藤 博之(農産園芸課長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第9回 開 催 日 平成24年1月23日 審議形態 証人尋問、参考人及び理事者質疑 【証人】 谷川 喜一(株式会社T・G・F前代表取締役) 小柳 険一(株式会社T・G・F代表取締役) 永田 久弥(株式会社谷川建設経理課主任) 山下 博史(谷川代議士の元秘書) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【参考人】 栗原 百子(当時の長崎農業改良普及センター係長) 山口賢太郎(当時の長崎農業改良普及センター主査) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 江藤 博之(農産園芸課長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第10回 開 催 日 平成24年2月6日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証人】 中尾 義秋(当時の大村市農業委員会会長) 藤田 豊 (元大村市農業委員会事務局長) 吉崎 邦幸(元大村市農業委員会事務局長) 田中 茂樹(長崎県農業会議事務局長) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 江藤 博之(農産園芸課長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第11回 開 催 日 平成24年2月17日 審議形態 委員会運営打合せ 第12回 開 催 日 平成24年2月23日 審議形態 委員会運営打合せ 第13回 開 催 日 平成24年2月28日 審議形態 委員会運営打合せ 第14回 開 催 日 平成24年3月15日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証 人】 金替 伸治(長崎大学病院精神神経科医) 【理事者:農林部】 M本磨毅穂(部長) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 市丸 浩 (農地利活用推進室長) 江藤 博之(農産園芸課長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第15回 開 催 日 平成24年3月26日 審議形態 証人尋問及び参考人質疑 【証 人】 M本磨毅穂(当時の農政課長) 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【参考人】 山口 成美(有限会社シュシュ代表取締役) 渡辺 敏則(当時の農林部長) 【理事者:農林部】 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 祢宜 渉 (次長) 上田 裕司(次長) 木下 忠 (農政課長) 江藤 博之(農産園芸課長) 加藤 兼仁(諫早湾干拓課長) 第16回 開 催 日 平成24年4月6日 審議形態 証人尋問、参考人及び理事者質疑 【証 人】 東 一洋(当時のながさき「食と農」支援事業プロポーザル企画審査委員会会長) 田中 茂樹(当時のながさき「食と農」支援事業プロポーザル企画審査委員会委員) 渡辺 敏則(当時の農林部長) M本磨毅穂(当時の農政課長) 山口 成美(有限会社シュシュ代表取締役) 【参考人】 松下 充 (JAごとう直売部部長) 【理事者:農林部】 上田 裕司(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 加藤 兼仁(次長) 井手 幹雄(次長) 木下 忠 (農政課長) 江藤 博之(農産園芸課長) 宮崎 浩善(諫早湾干拓課長) 第17回 開 催 日 平成24年4月23日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証 人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 渡辺 敏則(当時の農林部長) M本磨毅穂(当時の農政課長) 鶴田 孝廣(当時の諫早湾干拓室長) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【理事者:農林部】 上田 裕司(部長) 加藤 兼仁(次長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 木下 忠 (農政課長) 長岡 仁 (農地利活用推進室長) 宮崎 浩善(諫早湾干拓課長) 第18回 開 催 日 平成24年5月7日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証 人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 渡辺 敏則(当時の農林部長)) 鶴田 孝廣(当時の諫早湾干拓室長) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【理事者:農林部】 上田 裕司(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 加藤 兼仁(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 長岡 仁 (農地利活用推進室長) 宮崎 浩善(諫早湾干拓課長) 第19回 開 催 日 平成24年5月19日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証 人】 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【理事者:農林部】 上田 裕司(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 加藤 兼仁(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 長岡 仁 (農地利活用推進室長) 宮崎 浩善(諫早湾干拓課長) 第20回 開 催 日 平成24年5月26日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証 人】 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【理事者:農林部】 上田 裕司(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 加藤 兼仁(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 長岡 仁 (農地利活用推進室長) 宮崎 浩善(諫早湾干拓課長) 第21回 開 催 日 平成24年6月5日 審議形態 証人尋問及び理事者質疑 【証 人】 東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) 島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) 松永 隆志(当時の諫早湾干拓室参事及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 【理事者:農林部】 上田 裕司(部長) 鈴村 和也(政策監(農村整備事業・諫早湾干拓担当)) 加藤 兼仁(次長) 木下 忠 (農政課長) 中村 功 (農業経営課長) 長岡 仁 (農地利活用推進室長) 宮崎 浩善(諫早湾干拓課長) 第22回 開 催 日 平成24年6月9日 審議形態 委員会運営打合せ 第23回 開 催 日 平成24年6月21日 審議形態 委員会運営打合せ 第24回 開 催 日 平成24年7月10日 審議形態 参考人質疑及び委員会運営打合せ 【参考人】 中山 洋二(JC-NET)
1 平成23年10月19日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) (3)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (2)島田 洋吾証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (3)平山 豊証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について
1 平成23年11月7日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) (3)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) (4)木村 務 (当時の諫早湾干拓地農業者選考委員会委員長) (5)副島 宏行(当時の諫早湾干拓地農業者選考委員会委員) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (2)島田 洋吾証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (3)平山 豊証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (4)木村 務証人に対する尋問事項 諫早湾干拓地農業者選考委員会の審査の状況について (5)副島 宏行証人に対する尋問事項 諫早湾干拓地農業者選考委員会の審査の状況について
1 平成23年11月22日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) (3)松永 隆志(当時の諫早湾干拓室参事及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) (4)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (2)島田 洋吾証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (3)松永 隆志証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (4)平山 豊証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について
1 平成23年12月6日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) (3)松永 隆志(当時の諫早湾干拓室参事及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) (4)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (2)島田 洋吾証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (3)松永 隆志証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (4)平山 豊証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について
1 平成23年12月19日 2 (1)中尾 義秋(当時の大村市農業委員会会長) (2)山開 博俊(当時の諫早市農業委員会会長) (3)藤田 豊 (元大村市農業委員会事務局長) (4)吉崎 邦幸(元大村市農業委員会事務局長) (5)一瀬 正勝(当時の大村市農業水産課長) (6)中山 勝 (当時の諫早市農業委員会事務局長) 3 (1)中尾 義秋証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人としての利用権設定を認めたことについて (2)山開 博俊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fが農業生産法人の要件を満たすと判断したことについて (3)藤田 豊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人としての利用権設定を認めたことについて (4)吉崎 邦幸証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人としての利用権設定を認めたことについて (5)一瀬 正勝証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの認定農業者の経営改善計画を認めたことについて (6)中山 勝証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fが農業生産法人の要件を満たすと判断したことについて
1 平成24年1月10日 2 (1)谷川 喜一(鰍s・G・F前代表取締役) (2)小柳 険一(鰍s・G・F代表取締役) (3)永田 久弥(樺J川建設経理課主任) (4)山田 秀一(当時のカルビーポテト且ュ児島事務所ブロックリーダー) 3 (1)谷川 喜一証人に対する尋問事項 @鰍s・G・Fが農業に参入しようとした一連の経緯と手続き A鰍s・G・Fの計画と現状 B樺J川建設及び樺J川商事と鰍s・G・Fとの関係 (2)小柳 険一証人に対する尋問事項 @鰍s・G・Fが農業に参入しようとした一連の経緯と手続き A鰍s・G・Fの計画と現状 B樺J川建設及び樺J川商事と鰍s・G・Fとの関係 (3)永田 久弥証人に対する尋問事項 @鰍s・G・Fが農業に参入しようとした一連の経緯と手続き A鰍s・G・Fの計画と現状 B樺J川建設及び樺J川商事と鰍s・G・Fとの関係 (4)山田 秀一証人に対する尋問事項 カルビーポテト鰍ェ鰍s・G・Fと売買基本契約書を締結した経緯と取引状況
1 平成24年1月23日 2 (1)谷川 喜一(鰍s・G・F前代表取締役) (2)小柳 険一(鰍s・G・F代表取締役) (3)永田 久弥(樺J川建設経理課主任) (4)山下 博史(谷川代議士の元秘書) (5)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)谷川 喜一証人に対する尋問事項 @鰍s・G・Fが農業に参入しようとした一連の経緯と手続き A鰍s・G・Fの計画と現状 B樺J川建設及び樺J川商事と鰍s・G・Fとの関係 (2)小柳 険一証人に対する尋問事項 @鰍s・G・Fが農業に参入しようとした一連の経緯と手続き A鰍s・G・Fの計画と現状 B樺J川建設及び樺J川商事と鰍s・G・Fとの関係 (3)永田 久弥証人に対する尋問事項 @鰍s・G・Fが農業に参入しようとした一連の経緯と手続き A鰍s・G・Fの計画と現状 B樺J川建設及び樺J川商事と鰍s・G・Fとの関係 (4)山下 博史証人に対する尋問事項 カルビーポテト鰍ェ鰍s・G・Fと売買基本契約書を締結した経緯と取引状況 (5)平山 豊証人に対する尋問事項 樺J川建設及び鰍s・G・Fへの新規営農及び諫干入植に関する、相談・指導の状況等
1 平成24年2月6日 2 (1)中尾 義秋(当時の大村市農業委員会会長) (2)藤田 豊 (元大村市農業委員会事務局長) (3)吉崎 邦幸(元大村市農業委員会事務局長) (4)田中 茂樹(長崎県農業会議事務局長) (5)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)中尾 義秋証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人としての利用権設定を認めたこと及びその後の確認・指導について (2)藤田 豊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人としての利用権設定を認めたこと及びその後の確認・指導について (3)吉崎 邦幸証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人としての利用権設定を認めたこと及びその後の確認・指導について (4)田中 茂樹証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの農業生産法人設立に関することについて (5)平山 豊証人に対する尋問事項 樺J川建設及び鰍s・G・Fへの新規営農及び諫干入植に関する、相談・指導の状況等
1 平成24年3月15日 2 金替 伸治(長崎大学病院精神神経科医) 3 金替 伸治証人に対する尋問事項 @ 永田久弥氏の証言の可否について A 本委員会に永田久弥氏が証人出頭した場合の証言の求め方(質問時間及び休憩時間)について
1 平成24年3月26日 2 (1)M本磨毅穂(当時の農政課長) (2)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (3)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)M本磨毅穂証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業及び鰍s・G・Fの入植に当たっての事務方の対応について (2)東 一洋証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業及び鰍s・G・Fの入植に当たっての事務方の対応について (3)平山 豊証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業及び鰍s・G・Fの入植に当たっての事務方の対応について
1 平成24年4月6日 2 (1)東 一洋(当時のながさき「食と農」支援事業プロポーザル企画審査委員会会長) (2)田中 茂樹(当時のながさき「食と農」支援事業プロポーザル企画審査委員会委員) (3)渡辺 敏則(当時の農林部長) (4)M本磨毅穂(当時の農政課長) (5)山口 成美(泣Vュシュ代表取締役) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業について (2)田中 茂樹証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業について (3)渡辺 敏則証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業について (4)M本磨毅穂証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業について (5)山口 成美証人に対する尋問事項 ながさき「食と農」支援事業について
1 平成24年4月23日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)渡辺 敏則(当時の農林部長) (3)M本磨毅穂(当時の農政課長) (4)鶴田 孝廣(当時の諫早湾干拓室長) (5)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (2)渡辺 敏則証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (3)M本磨毅穂証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (4)鶴田 孝廣証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (5)平山 豊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について
1 平成24年5月7日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)渡辺 敏則(当時の農林部長) (3)鶴田 孝廣(当時の諫早湾干拓室長) (4)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (2)渡辺 敏則証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (3)鶴田 孝廣証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について (5)平山 豊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について
1 平成24年5月19日 2 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 平山 豊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について
1 平成24年5月26日 2 平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 平山 豊証人に対する尋問事項 鰍s・G・Fの入植にあたっての事務方の対応について
1 平成24年6月5日 2 (1)東 一洋(当時の長崎県農業振興公社事務局長) (2)島田 洋吾(当時の長崎県農業振興公社嘱託職員) (3)松永 隆志(当時の諫早湾干拓室参事及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) (4)平山 豊 (当時の諫早湾干拓室係長及び長崎県農業振興公社職員(兼務)) 3 (1)東 一洋証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (2)島田 洋吾証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (3)松永 隆志証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について (4)平山 豊証人に対する尋問事項 選考調査についての農業振興公社の事務方での整理の全容について
鰍s・G・Fの設立に際して、谷川喜一証人は、平成24年1月10日にその思いを次のように証言している。
「公共工事に関しましては全体の売上げの依存度は、当然年度によってもばらつきがありますけれども、かなりウエートとしましては低いものだと思っております。昨今の受注環境の厳しさの中、逆にいえば受注がとれていない状況で、私どもの住宅、非木造部門以外の社員も40名を超えるスタッフがおりますが、このメンバーたちになかなか現場を提供できないほど苦戦をしております。これも、私にとって見れば非常に厳しい環境にあると言わざるを得ないと思っております。
なぜ農業を目指したかというご質問がありました。先ほどお話しさせていただきましたように、公共工事に関しましても受注状況は非常に厳しい。また、住宅業界におきましても、これから先、人口減少の中、当然市場が狭まる中、市場を求めて九州各県、支店展開をしておりますが、それでも着工戸数は落ちてまいります。その中で、ここ10年、15年に関しましては、着工戸数ないしはリフォームに対して力を入れて経営努力をしていきたい、経営努力で何とかしていかなければならないというふうに思っておりますけれども、10年、20年を見た時に、今のままでは当然成り立たないだろうということで、もう一つの柱を持ちたいということで農業を選択させていただいたということです。
私ども、41年目を迎えておりますが、定年退職者の方も当然これから多く出てこられる中で、また、第二の人生を谷川で歩んでいただくためにも、そういった受け皿があってもいいのではないかということで、農業を選択させていただきました。」
「その当時、食の安全であったり、食料自給率の問題であったり、先ほどもお話が出ました農地の遊休地であったり、耕作放棄地であったり、そういったものが大きな問題になっておりました。
その中で、例えば土に頼らない、工場での野菜の生産であったり、また大規模農業ということで限られた農地を集約して、省力化して、機械化といいますか、農機具を多く使うことで生産性を上げて収穫量を上げるとか。
また、独自の販路、これは大量に引き取ってくれる先ではなくて、独自の販路先を見つけることで作物自体に付加価値を付けるとか、また、これからアジアを含めた人口が爆発している地区での食料安定供給の問題で、日本国以外にも供給できるのではないかとか、そういった話が社内でもさまざまありました。
その中で今回の農業に関しましては、一つは大村の草場の果樹園の問題と、諫早湾干拓に対する入植の問題と、それぞれに国内、国外を含めまして、これは将来性、将来的な見通しがあるのではないかと。
草場に関しましては耕作放棄地、遊休地がたくさん、あの斜面に広がっておりますので、あの斜面を小豆島のようにオリーブ畑に変えていくことで、実を我々が収穫する、もしくは実自体をとっていただいた方から我々が購入する、こういったことで、我々自身が作物を育てる、もしくは協力農家の方々に育てていただくというようなことで成り立つのではないかとか、また、諫早湾干拓地の方では、大規模な農地になりますので、あれだけ広大なフラットな農地は日本全国探しても、北海道以外にはないということで、省力化した農業経営ができるのではないか。このような考えをもって、具体的に検討を始めたということになると思います。
これから農地に対しましてはさまざまな問題も、今現在、例えば土づくりの観点からいきましても、なかなか売上げ的にも貢献できていないところがありますが、5年、7年、10年という中では確実に収益が残せる土壌でもあると、また規模的にも広がっていくものだというふうに確信をして、今現在、経営を進めている状況にあると思います。」
このことから、谷川喜一氏は、鰍s・G・Fの設立に関し、社運を賭け農業部門への新たな事業展開をしていこうと、並々ならぬ強い意欲を持っており、従って、会社経営者として当然に会社設立に関する法定の手続きや借り上げ予定農地についても十分承知していたと窺われる。
1)平成24年1月10日に樺J川建設 経理課 主任である永田久弥証人は、法人設立までの相談について次のとおり明確に証言している。
「今、思い返しますと、ほとんど農業会議の指導を受けていたと思います。まず、原案としては、先ほどおっしゃいました原案を持っていきました、農業会議の方に。農業会議の方は、誰であろうといいんですが、農業ができるか、できないか、農作業ができるか、できないか、それだけで判断していました。ですから、そこで、谷川代議士とか谷川貞子さんは、農業会議の方から、外してくださいというふうなアドバイスを受けました。
それで、あと、出資の金額、出資の割合、そういったところを事細かに農業会議さんの方の指導を受けました。
最終的には、一応、農業会議さんの方に、こういう形で設立したいと持って行ったのが12月の17、18日だったと思います。それから、大村の司法書士さんのところに走りましたので。
ですから、そこまでの間、何度となく農業会議さんの方には出向いて、役員構成、出資者構成は指示を仰いだということになっております。指導は。」
鰍s・G・Fの設立に当たって県農業会議への相談を随時行っていたのは、樺J川建設の経理課 主任 永田久弥氏であり、鰍s・G・Fの設立の前に、樺J川農場という仮称で法人設立が企図されているが、前出の永田証人の証言にあるように、その中に役員として、谷川弥一衆議院議員(樺J川建設 会長)も名を連ねていた。
樺J川農場(仮称)は、平成19年1月に鰍s・G・Fとして、樺J川建設とは別法人として設立されている。
このことについては、県農業会議の証人からも次のような証言がなされている。
「先ほども言いますように、農業会議の指導方針として、企業一般の農業参入につきましても、農地の権利取得ができるような法人経営体をとってくださいということは基本的な指導としてやっていますので、私どもの方からそういった指導はしております。(平成23年12月19日、田中参考人)」、「このことも何度も議論があっておりますように、生産法人の要件の中では4要件ございますが、ほかの要件については、なるほど実現可能かなということで、問題は役員要件がしっかりしておかないと要件を充たさなくなりますので、特に想定されている役員について農業経営の従事、さらに、農業経営に従事しているうちの過半の方が実際の農作業に従事できるのかどうか、そういったことについて何回かやりとりをしたというふうに聞いております。(平成23年12月19日、田中参考人)」、「私どもとしては、農業と農作業の違いも説明していますし、それから、役員の農作業にきちっと従事してもらうことについてもおつなぎしましたし、それから、大きな会社の社長さんが果たしてやるんですかということも、事実、何回となく確認はしております。(平成24年2月6日、田中証人)」
2)また、永田氏は、平成18年7月13日、県農業改良普及センターに新規就農相談を行っているが、県が残したその際の相談記録には「谷川会長にオリーブの状況について、経営的に厳しいものがあることを説明する」と述べたと記載されている。(資料1)
しかしながら、平成24年1月23日永田氏及び谷川喜一氏(樺J川建設 代表取締役、鰍s・G・F元代表取締役)から、これは谷川社長への説明であったとの証言がなされている。
この点については、資料と証言が食い違うため、永田氏が実際に説明した相手が谷川弥一氏であったのか喜一氏であったのか判然としないものの、記憶と記録を比較した場合、記録の方が信憑性は高いと考えられる。
どちらにしろ、樺J川建設を代表する両者の名前が挙がっていることから、前述したとおり、樺J川建設が農業部門への参入に社を挙げて向かっていたことは間違いない。
3)また、永田氏は、県諫早湾干拓室にも平成18年度から幾度となく相談に来ており、県農業会議、県農業改良普及センターへの相談も数多く、県諫早湾干拓室、農業改良普及センター、県農業会議は、鰍s・G・Fの法人設立、営農計画に深く関わっていたものと窺知される。
鰍s・G・Fは大村での農業生産法人としてのオリーブ等の栽培を企図していたことから、通常であれば、所管である大村市農業委員会に相談すべきであり、平成18年7月13日には長崎市農業委員会からも大村市農業委員会に相談するよう助言されている(資料1)にもかかわらず、大村市農業委員会に相談することもなく、県及び県農業会議に鰍s・G・Fの設立についての相談を繰り返していることは、異例のことであると言わざるを得ず、樺J川建設であることをもって格別の配慮がなされたと推断せざるを得ない。
「農業生産法人」とは、農業を行うために設立された法人において、農地の取得を可能とするための要件を満たした法人を指す。
要件は次の4点
1)第1に、「『農業経営基盤強化促進事業申出書』の申請内容は適正であったか」ということについては、農業生産法人は前述の4点の要件を満たさなければならない。
1(1)で示したように、平成23年12月19日、平成24年2月6日の田中証人の証言によると、県農業会議は、役員構成について、永田氏に対し、本当に計画通り実行できるのか、農業従事と農作業従事の違いも説明しながら、何度も確認し、県農業会議からの説明を受けた永田氏は、直接社長に確認し、「その点は、再度、谷川社長の方にお聞きして、みんなやるつもりだということでしたので、農業会議の方に最終的な回答をいたしました。(平成24年1月10日、永田証人)」と証言しており、永田氏と谷川喜一氏の意思疎通に齟齬があるとも思われず、谷川喜一氏が、要件について十分に承知していたと、断定することができる。
また農業会議の相談時に作成された異業種参入支援事業相談等処理カードに「農業生産法人の構成員と役員の要件については、谷川喜一社長の了解を得て以下の形で進める」と、また、出資額についても「谷川喜一社長と協議中」と記載されており、逐一、谷川喜一氏と協議のうえ、事務を進めていることが窺えるが、平成24年1月10日に谷川喜一証人は、「(申請の際の書類については、)正直全幅の信頼を持って任せていた部分がありまして、流れ作業的な捺印であったのは間違いないと思います。
私自身が当然自分の名前と社判が入っておりますので確認をとって進めていくところでありますけれども、その当時、正確に把握をして印を押したかと言われれば、それはあいまいなものしかなかったと言わざるを得ないと思います。」と証言している。
さらに、「農業に対する思いはありましたが、現実問題として、従事日数等含めて不足しているということで、これは言いますように、マスコミの報道と、また、実際の従事日数等の問題を考えて辞任をした。(平成24年1月10日、永田証人)」との証言もある。
然るに、谷川喜一氏は、本委員会における証言で、当初は、「4要件におきましては、一つは株式会社であるということ。農業収入が50%以上あるということ。また、株主、構成員は原則150日以上の農業に従事をしなければならないということ。また、代表者、責任者は原則150日以上の農業従事ないしは60日以上の農作業をしなければならないということだというふうに理解をしております。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」「農業従事といいますのは経営全般、実際に農地での農作業を行わなくてもデスクワークや、販路の開拓であるとか、そういうところも含めたものだというふうに理解をしております。農作業は実際に農地に入って、実際に土と触れ合うというものであるというふうに認識をしております。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」と正確に述べている。しかし、後には「農業生産法人の4要件に関しましては、特別委員会等を通しまして改めて学ばせていただいた部分がありまして、設立当初は内容が十分ではなかったというふうに思います。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」、「間違いありません。当初、農作業、農業従事の区別がついておりませんでした。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」、「私が農業生産法人の4要件について、設立当初、正確に把握をしておりませんで、(平成24年1月23日、谷川喜一証人)」と証言し、申請当時は十分に承知していなかったと繰り返しているが、前述の証言並びにこれまで指摘してきたことから考察される事実とは異なり、虚偽の陳述の疑いが認められるものである。
また、申出書に添付されている資料では、谷川喜一氏は、農作業に90日間従事するとなっている(資料2)が、「私が農業生産法人の4要件について、設立当初、正確に把握をしておりませんで、平成20年2月に永田証人の方から、要件を満たしていない旨、私の方に報告がありました。(平成24年1月23日、谷川喜一証人)」、「平成20年2月ごろに谷川証人に、このままでいくと農業従事日数、農作業従事日数が、どうしても規定の予定の日数に足りませんという報告はいたしました。(平成24年1月23日、永田証人)」との証言でわかるように、谷川喜一氏の「みんなやるつもりだ」との意思表示とは裏腹に、実際に農業、農作業には従事しておらず、また、谷川喜一氏が樺J川建設、樺J川商事、潟}ルキ開発の代表取締役を兼務していることからも、要件を充足させることは困難で、実際、平成19年度の農業生産法人の報告書では、従事日数0日となっている。
一方、谷川富貴氏(鰍s・G・F元取締役、谷川喜一氏の妻)においても、申出書には、農作業従事日数150日と記載されているが、当時、妊婦であったことを考えると、これらの活動に従事することは、到底、不可能であり、実際、平成19年度の農業生産法人の報告書では、従事日数0日となっている。
これらのことから、当初から要件を充足させようという意思は見えず、大村市農業委員会から農業生産法人として認められるための形式上だけの数字であると言わざるを得ない。
平成24年1月23日の永田証人の証言では、この数字について、「虚偽の記載ではなく、予定として記入しております。」と弁明しているが、たとえ予定の数字であったとしても、実現させることを要請されるものであり、到底実現が不可能な数字を記載することは許されるものではない。
これらの日数の記載は、この申請のみではなく、平成19年6月に大村市に行った「農業経営改善計画認定申請書」、平成19年8月に(財)長崎県農業振興公社に行った「諫早湾干拓農地借受申出書」、平成19年8月に諫早市に行った「農業経営改善計画認定申請書」などにおいても同様の数字が使用されている。
さらに、谷川富貴氏、田丸加代子氏(鰍s・G・F元取締役)両名に対し、「鰍s・G・Fの各種申請の計画内容及びその実績について」証言を求めるため出頭を請求したところ、出頭しない旨の上申書が提出され、その中で「証言を求める事項」は、「農地法違反による刑事罰の対象となる事項に関して証言を求めるものであること。」、「谷川喜一氏が刑事訴追を受けるおそれがある事項に関するものである。」と記載されている。(平成24年2月22日付け 上申書2、資料3)
これらのことは、申請内容に実態と異なる記載がなされているばかりか、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえで記載された虚偽の申請であることを認めたと考えられる裏付けとなっている。
2)第2に、「『農業経営基盤強化促進事業申出書』の審査は適正であったか」ということについては、平成23年10月19日の藤田参考人の発言によると、通常、農業生産法人と認知されるまでには、2ヶ月〜1年程度かかるが、鰍s・G・Fから「農業経営基盤強化促進事業申出書」を平成19年2月12日付けで提出されると、2月21日付けで受付け(資料2)、2月27日に開催された大村市農業委員会農地部会で承認(資料4)、その後、3月9日に大村市から公告がなされている。
かかるケースは、提出してから承認されるまで、わずか2週間強、公告まで含めても1ヶ月弱で事務処理が終了しており、異例の速さとなっている。
このことに対して、藤田証人は平成24年2月6日の証言で、小林委員の「だから、そう言われても仕方がないということを投げやりにおっしゃるけれども、実際、あなたの、『そう言われても仕方がない』という言葉の中には、やっぱりね、谷川代議士だとか、金子知事とか、そういう権力者の親族だから、そういうようなところがあなたをして、当然、あなたの責務として果たさなばいけない業務をあなたが放棄したと。こういうことを、世にいう便宜を供与したと、特別扱いをしたと、こういうようなことで藤田証人、我々は受け止めて、それが正直でね、やっぱりね、相手が金子代議士のね、農林省のね、農林水産大臣政務官、政府高官ですよ、ああしとっても。それから、金子知事の娘、こういうような状況を見ればさ、ちょっとおたおたするよね。大体ね、今回の事務手続の一連の、藤田さん、あなただけじゃないんですよ。あなただけではないんですよ。全部ですね、そういう事務手続の推進、このやり方については、やはり谷川、金子という時の権力者のやっぱりご威光がいろんな状況の中で特段の配慮とか、あるいは便宜供与という格好になって、藤田さん、やっぱり谷川さんとか金子さんのご親族のT・G・Fだと、いろいろ聞きづらいとか、後で、いろいろ聞いたらどうなるかわからんとか、そういうようなことを思ってあなたの任務を果たさなかった、業務を全うしなかったということ、そう言われても仕方がないと言っているけれども、そのとおりでしょうか、どうですか。」という質問に対し、「先ほど言いますように、そう思われても仕方がないと思います。」と一度は認めたものの、その後、小林委員が再度行った同趣旨の質問に対しては、「そこで、私が言いました、便宜を図ったということは、私は認識いたしておりません。先ほどの発言を撤回させていただきたいと思います。」と発言を撤回し、最終的には、高比良(元)委員長の「特別な扱いではなかったらば、十分な調査をしなかったというのは恒常的に行われてきたんですか、そういうやり方をするんですか、という話になってしまうじゃないですか。違うんでしょう。やっぱり農業会議の方からいろいろ言ってきた、そのことを真に受けてそのままやったんじゃないんですか。違うんですか。そこはやっぱり谷川喜一さんというのがおった、谷川建設というのがあった、そういう背景があるからじゃないですか。そういう申請内容だったからじゃないですか。しっかりお認めになりませんか。」との質問に対し、「特別な扱いをしたということは、私は認識がないわけでございますが、皆様のご判断にもうお任せしたいと思います。」と証言している。
同じく平成24年2月6日に、藤田証人は「特別なやり方はいたしておりません。調査不足は認めますけれども、この件だけについて、T・G・Fだけに特別な扱いをしたということはございません」と証言しているが、実際には、異例とも言える速さでの事務処理が行われており、また、それに対する発言が二転三転し、申請者に対して大村市農業委員会が格別な配慮をしたのではないかとの疑いを払拭することはできない。
3)第3に「提出された報告書の内容は適正であったか」ということについては、農業生産法人は、毎事業年度終了後、3ヶ月以内(6月30日期限)に報告書を大村市農業委員会に提出する義務がある。(農地法第6条第1項、農地法施行規則第58条)
鰍s・G・Fは、平成19年3月9日に農業生産法人として認知されているため、平成18年度分から報告の義務が発生するが、平成18年度分の報告は平成19年9月27日に提出され(資料5)、平成19年度分は、平成20年7月24日に提出されているが、平成23年12月19日の吉崎証人の証言によると「記入漏れがあったため、再提出」となり、最終的に平成20年9月18日に提出(資料6)され、2期連続で提出期限を大幅に遅延している。
さらに、提出された報告書の内容に関して、平成18年度の報告書(資料5)においては、
など、誤りの多いものとなっている。
平成18年度の報告書については、「この報告書に関しましては、恐らく担当者の方で対応をしているんじゃないかと思っています。
一応、平成18年度分の報告につきましては、23日しかないわけでございまして、判断をされるような状況じゃなかったと思っております。(平成24年2月6日、吉崎証人)」との理由で、是正勧告は行っていないと証言しているが、吉崎証人自身は、平成24年2月6日の証言で「私は見た記憶がない。」と責任逃れとも見える言動を繰り返している。
平成19年度の報告書については、役員の農業・農作業従事日数が規定に達していないため、平成20年10月3日付けで大村市農業委員会から是正勧告を受けている。(平成23年12月19日、吉崎証人)
これらの事務処理に関し、「谷川社長は全く承知していなかったということですか。」という平成24年1月10日の比良(元)委員長の質問に対し、「正直全幅の信頼を持って任せていた部分がありまして、流れ作業的な捺印であったのは間違いないと思います。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」
また、「記載内容と実態が乖離をしている虚偽の内容を報告したということについてどのように認識をされていますか。」との平成24年1月23日の比良(元)委員長の質問に対し、「はっきり言って7月、9月ぐらいになると、私のきちんと農業会議からレクチャーを受けたものもおぼろげになっております。ほかの仕事も抱えておりましたので、そこで単発的にやった仕事でございます。ですから、農作業、農業従事、同じ日数で書いてしまったという私の完全な記載ミスです。(平成24年1月23日、永田証人)」との証言があっている。
これらの、報告期限に対するルーズさ、報告内容のずさんさをみる限り、経営の実態に対しても、農業に対する取り組みについても鰍s・G・Fは、真摯に取り組んできたのか甚だ疑問であり、また、諫早湾干拓農地への入植ありきの法人設立にかかる大村市農業委員会の事務処理ではないかとの疑問も抱かざるを得ないものである。
1)第1に、「『農業経営改善計画認定申請書』の申請内容は適正であったか」ということについては、平成19年6月18日付けで提出された申請書に諫早湾干拓地の農地取得が記載され、また、取得面積も60haと明示されており、あたかも入植が決定しているかのごとき記載となっている(資料8)
記載内容は、「この農業経営改善計画の認定は、あくまでも5年後の計画をもとに認定するものであって、T・G・Fさんとしては、そのような経営改善計画を立てていると判断しておりました。」と平成23年10月19日に一瀬参考人は発言しているが、同じ日に「達成困難であれば計画変更等の協議も必要だと思う」とも発言している。
しかるに、諫早湾干拓地への入植は他の行政機関の審査を通じて果たして実現できるかどうか未定であるにもかかわらず、入植を前提とした審査は、審査のあり方として全く誤ったものであると指摘せざるを得ない。
さらに、平成19年8月21日付で作成されたとされる申請書の修正版では、申請時の農業従事日数が0日の谷川喜一氏が年間見通し90日従事すると記載されており、同様に申請時の農業従事日数が0日の田丸加代子氏が年間見通し60日、同じく0日の谷川富貴氏が年間見通し150日と、小柳険一氏、小柳伊佐義氏に至っては180日(資料9)と記載されているが、谷川喜一氏が3法人の代表取締役を兼務していること、谷川富貴氏が妊婦であり、8月過ぎまで農業従事日数が0日であるものが申請時からの残り日数 約220日からみて、実現不可能としか思えない数字が羅列されている。
加えて、前述したように、谷川富貴氏、田丸加代子氏に「鰍s・G・Fの各種申請の計画内容及びその実績について」証言を求めるために出頭を請求したところ、出頭しない旨の上申書が提出され、その中で「証言を求める事項」は、「農地法違反による刑事罰の対象となる事項に関して証言を求めるものであること」、「谷川喜一氏が刑事訴追を受けるおそれがある事項に関するものである。」と記載されている。
これらのことは、申請内容に実態と異なる記載がなされているばかりか、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえで記載された虚偽の申請であることを認めたと考えられる裏付けとなっている。
2)第2に、「認定事務の処理は適正に行われたか」ということについては、平成19年6月18日に大村市に申請され、6月20日で受理された認定申請書が、6月21日に起案され、同日付で決裁、認定されている。(資料10)
「この時に全部で20件出ております。最初の申請日が5月21日に5件、5月22日に8件、5月28日に4件、それから6月20日に2件、6月18日に1件あっております。(平成23年10月19日、一瀬参考人)」と発言があり、鰍s・G・Fの案件のみが手続きが早いわけではなく、審査会の前日に申請されているものもあるが、審査会の直前に受け付けたものを直ちに審査会に上げ、認定審査を行うという事務処理のあり方が適正であるか疑問の残るところである。
また、諫早市農業委員会に8月21日に提出した農業経営改善計画認定申請書と同じ内容に修正した申請書を8月23日に大村市に提出している(平成24年1月10日、永田証人)が、申請日及び受付日が当初の申請時と同じ日付で整理されている。(資料9)
これらについても、事務処理の速さや、修正申請書の受け付け方の不自然さなど、事務処理の異例さが目立つものである。
1)第1に「諫早湾干拓農地借受申出書の内容は適正であったか」ということについては、資料11の添付資料「営農計画書」に谷川喜一氏が年間90日間、田丸加代子氏は60日間、谷川富貴氏は150日間、自家農業に従事すると記載されている。
また、「基本的には私は経営全般ということで農業従事、また、姉と私の妻に関しましても農業従事ということで、基本的に販路の開拓であるとか情報収集であるとか、農業経営の中で重要なのは収穫と同時に収穫されたものをいかに付加価値を付けて販路を開拓していくかというのも非常に重要だと思っておりましたので、ちょうど子育て世代である二人が、例えば幾らだったらどういったものを購入してもらえるのか。どういったデザインだったら手に触れてくれるのかといったことをそれぞれのネットワークを使って情報収集をしていただいていたということです。(平成24年1月10日、谷川証人)」、「農業従事と農作業従事の要件について、その当時はよく理解をしておらず、農業従事で成り立つものだというふうに理解をしておりました。(平成24年1月23日、谷川喜一証人)」との証言もある。
しかしながら、これまでも述べてきたとおり、谷川喜一氏の本業の勤務を考えると、これだけの農業従事がはたして可能かと疑わざるを得ず、谷川富貴氏に関しても妊婦であることから、同様の疑問を呈さざるを得ない。
申出書の内容についても、主な生産品目の販売先としてカルビーポテト鞄凾ニ記載されており、後述の評価点数の評価に大きな影響を与えることとなるが、売上計画においても、これは全体の1割程度に過ぎないものである。
さらに、取引の根拠としている、取引証明書についても内容を見る限り、数量等の記載もなく、根拠としては不十分なものといわざるを得ない。
次に、入植後3年目の収支計画では、売り上げ1億6千万円弱で2百万円弱の黒字を見込んでいるが、平成22年度の農業売上実績は、その4分の1に過ぎず、農業売上だけでは赤字となり、農業以外の売上を計上し、黒字を確保している。
確かに、入植面積は60haから32haと半分程度になっているが、計画では200万円弱の黒字を見込んでいたものが、実際には農業売上だけでは、1,000万円を越える赤字となっており、当初の計画自体の信憑性が甚だ疑問である。
さらに、資本金については、当初は200万円であり、これについても大規模農業を目指す法人としては如何なものかと考えるが、入植決定直後の平成20年5月20日には、資本金を減額し、60万円になっている。(資料12)
上記の4点からも、当初からの入植に対する意欲について疑問を抱かざるを得ず、また、記載内容にも他の申請と同様、実現不可能な農業従事日数の記載や過大な売り上げの計上などがみられ、少なくともこのことは、単に計画の見込み違いということにとどまらず、まさに、申請内容として、計画を遂行する意思がないまま架空の記載がなされているばかりか、他の申請と同様、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえで記載されたもので、これらのことから、虚偽の申請と言わざるを得ないものとなっている。
2)第2に「班による評価の実施方法等は適正であったか」ということについては、「私の立場というのは、その調査グループ6人、そして、実際、事務方として採点する側のリーダーという形で、私の立場でございます。」、「実際、得点をつける、採点するチームの私がリーダーでございまして、(平成23年11月22日、松永証人)」、「この現地調査とか、今、我々が言っています選考の評価の作業だとかという問題につきましては、先ほどからちょっとご紹介をしておりますが、諫早湾干拓室の松永参事がリーダーシップをとっておりまして、(平成23年11月7日、東証人)」との証言があり、松永参事が評価点の調査を行うグループのリーダーとして指揮を取っていたことは疑いのないところである。
また、「3班に分けて、そして2人1組1班、それで現地調査もし、そして点数をつける、評価調書に記載をしていく、たたき台をつくるという作業は2人で一緒になってやるんだと。どっちが先に筆を入れるかというのは別ですよ。要するに、24日までにはそういう作業を通じた中で提出をしてもらうんだと。このことが松永証人からそういうことで指示というか、なされておったんですかね。」との高比良(元)委員長の質問に対し、「そういう指示があっておりました。(平成24年6月5日、島田証人)」との証言があり、「 確かに、業務としてその枠組みをつくって、こういう方向でということの指示はいたしました。(平成24年6月5日、松永証人)」との証言もあっている。
また、「配点につきましては、農業振興公社の嘱託が一応付けて、そして、当時、諫早湾干拓室の担当の方、営農推進班の方と打ち合わせをして出すということだったと思います。(平成23年11月7日、島田証人)」とも証言している。
鰍s・G・Fを担当した班(以下「3班」という)は、他の班に比べて評価すべき件数は少ないにもかかわらず、「2人1組で調査に行くんですけれども、ここに出されている調査票は、そのうちの1人がまずは採点をしてみて、同行した人と少し協議をしなきゃならないという、その協議をする前に出てきたということですから、他の班の選考調査票と比べると、調整の作業が欠けていたということが一つあります。(平成23年10月11日、東参考人)」と発言している。
その結果、3班が受け持った16件のうち13件が評価点を変更されており(他の班は5件、12件)、他の班の修正点は2点以内であるのに対し、3点以上の変更が11件あり、5点の変更を行っているものも2件ある。(資料13)
また、この班では、同一班の調査員においても証言の食い違いが複数あり、評価点数に影響する販売先との契約書に類する書面の存在について、「見ておりません。(平成23年10月19日、島田証人)」、「契約書じゃないんですが、カルビーとの販売についての、名前は忘れましたが、文面は忘れましたが、確約書みたいなのはありました。それは見ました。(平成23年10月19日、平山証人)」や諫早湾干拓農地借受申出書の添付書類の送付について、「私は諫早の公社の方にも書類は一式送っていたと思います。(平成24年6月5日、平山証人)」に対し、「実は、諌早事務所には、そのコピーはありませんでした。(平成24年6月5日、島田証人)」という証言が得られている。
選考調査票の作成時期については、「多分、24日前、その3日間ぐらいでつけたと思います(平成23年10月1日、島田証人)」、「20日ぐらいだったですかね。ちょっとすみません。それは覚えておりません(平成23年10月19日、島田証人)」、「たぶん24日、3日ぐらい前、3日、2日とか、そういう感じだったと思います。(平成23年11月22日、島田証人)」、さらには、「23日の5時過ぎ、8時ごろまでかかった。(平成24年6月5日、島田証人)」と証言に食い違いが生じている。
また、これに関連して、「多分、夕方ですね、もう間に合いそうにないということで、平山さんの方に電話をしたというふうに思います。(平成24年6月5日、島田証人)」、「しかしながら、少なくとも3班はできてないというのが、前日そういう事態に直面したので、私の判断としては、そして当然9時半から始めて、それ(開始時間)を遅らせて(互いに)調整させるという、そういう選択肢もあったのかもしれませんけれども、その時の私の判断としては、とにかく会としてまず第1回目を進めていこうと、そういう判断を下しましたので、そういう結果になりました。(平成24年6月5日、松永証人)」との証言もある。
さらに、選考調査票のすり合わせができなかった理由については、「少し片方が忙しくて、調整できなかった。(平成23年10月11日、東参考人)」、「事前に相談を受け、するように言ったが、平山証人の場合には抱えている別の業務等で当日までにできていない現状だった。(平成23年12月6日、松永証人)」、「どういうわけかよく覚えていないですが、10月24日当日にしか島田さんからもらえなかった。(平成23年12月6日、平山証人)」、「確かに忙しかったと、言ったかもしれませんけども、どういうふうに忙しかったかもちょっと記憶にございませんが、島田さんのあれが遅れて、調整できなかった。(平成24年5月26日、平山証人)」と、明確な理由は示されなかった。
しかしながら、平山豊氏は、上司(松永参事)から出された指示に対し、評価の擦り合わせ、資料の配布等を行わず、また、評価事務処理途中で松永参事から出された、「島田証人との作業が進んでないという話を、18日からですから、そう日にちはないんですけれども、急いでやったがいいよというのはアドバイスしましたけれども、(平成23年12月6日、松永証人)」、「21日と思うが、こちらから進捗状況を確認、できていないとのことでやるように指示。(平成24年6月5日、松永証人)」されたことに対しても従わず、結果、「もうとにかく24日の打合わせの中で、その辺はすり合せしていくしかないねということはアドバイスをいたしました。(平成24年12月6日、松永証人)」として、調整が行われていない点数が全体会に提出される事態を生じせしめている。
また、平成23年10月19日の島田証人の証言によると、この評価作業で、平成19年9月15日から始まった現地調査の時点では選考調査票はなく、現地調査の終了後、全体会議(平成19年10月24日開催)の1週間程度前に配布されていることや、面談した人物の発言のみが根拠となっており、書面の確認がなされていない事例、反面調査による確認がなされていない事例が多数あり、これだけ重大・重要な事業において、不十分な事務処理がなされている。
3)第3に、「事務方での評点調整作業が適正であったか」ということについては、まず、鰍s・G・Fへの評点のあり方について、第1回目の全体会議での評点の移動について説明を求めたところ、次のとおりの回答が出ている。
(平山氏 提出記録より 資料14)
評価項目1 営農の基本方針 +1点
ばれいしょについては、加工用の取引証明書があり、販売計画が具体的に検討されていると評価してよいのでは。(平山氏)
「環境への配慮、圃場を生かした経営の確立、販路拡大や加工などの経営の多角化等を検討している」と判断(作業チーム)
評価項目6 作付体系 +1点
申出書に休閑期の緑肥の作付計画があり、1点追加では(平山氏)
作業チーム了承
評価項目10 資金調達計画 +1点
融資は具体的な金融機関名を挙げて検討しており、関連会社からの資金確保が見込まれる。(平山氏)
関連会社からの資金は自己資金ではないが、確実性が高い(作業チーム)
評価項目11 経営収支計画 +2点
具体的な収支計画があり、0点はありえない。(松永氏)
収支計画の余剰も見込まれる(作業チーム)
しかし、評点の移動について確認すると次のようなことが判明した。
評価項目1 営農の基本方針について
根拠となったばれいしょの取引証明については、平山証人と島田証人で、書類の有無の認識に食い違いがある。
ばれいしょの取引が主であったとの認識であるが、実態は全体の5%程度である。
大豆・小麦の販売のため農協への早期加入を島田氏より指摘されている。
評価項目6 作付体系
緑肥を行うということだけで2点の評価をしている。
評価項目10 資金調達計画
関連会社からの融資を自己資金としてカウントしている。
融資の話についても、反面調査は行っていない。
鰍s・G・Fの資本金は、200万円であり、資金面で十分か。
評価項目11 経営収支計画
収支計画が策定されている(+1)、収支に余剰が見込まれる(+1)とされているが、実態として、平成22年度まで農業売上だけでは黒字になっていない。(資料15)
次に、他の応募者とのバランスを比較してみると、
評価項目1 営農の基本方針
「鰍s・G・F」 「環境への配慮、圃場を生かした経営の確立、販路拡大や加工などの経営の多角化等を検討している」とし、漠然としたものであるにもかかわらず、3点
「6番」 販売先に生協を示しているが、販売の多角化とまでは言えないとして1点減点し、3点に
「17番」 大根、ネギ、レタス、トマト、サラダ菜、いろんなものを作付けし、その一々についてどういうふうな販売先を確保するかということを明確に記載されているにもかかわらず、3点の評価と鰍s・G・Fと同じ点数になっている。
評価項目10 資金調達計画
「鰍s・G・F」 新規法人であるが、融資計画もそのまま認められている。(後日、新規法人であることを理由として1点減点)
「36番」 途中2点になったものの新規法人で融資が未知数として最終的には1点の評価
また、36番は、資本金は5,000万円であるが、鰍s・G・F は200万円しかなく、さらに入植が決定した後には60万円に減資している。
他の応募者でこの項目が1点から2点に変更されているのは、自己資金が大きいところだけ、鰍s・G・Fは、自己資金200万円のみであるにもかかわらず、加点されている。
評価項目12 その他
「鰍s・G・F」 「労働力や機械・施設等から見て農地の適切な利用が見込まれる」として1点加算し、3点
「53番」 機械設備の導入も計画され、雇用計画も鰍s・G・Fと同等であるが、評価は2点のまま(結果、選考から落ちている)
この項目については、鰍s・G・Fは当初、加点されていなかったが、大規模農業ということで、労働力の確保が見込まれるとして、1点加点しているが、申請時の常時雇用は2名であり、その他は臨時雇いや季節雇いしか存在しない。
など、鰍s・G・Fの評価点数の移動を見たところ、加点した根拠に乏しく、他の応募者との比較においても、鰍s・G・Fの評価点が過大になっている傾向が見られる。
なお、これらの点数の移動について、「やっぱり少し私の見方は、新規参入については厳しかった、厳しかったというよりも、実績がないという点をですね、やっぱりちょっと見ました。(平成23年10月19日、島田証人)」、「島田さんが、何といいますか、意外と辛目の点数をつけておったということもあったと私は思っております。(平成24年5月19日、平山証人)」との証言もあるが、それを受け入れたとしても、他の応募者との評価点数のバランスが取れないことや評価点の移動の根拠が薄いことから、それだけの理由とは考えにくいものである。
選考委員会は、入植者選定に関して、入植者選定の基準を決定し、審査を行い、入植者の選定を行う機関である。
平成23年11月7日の木村証人より公正・公平を期すために、匿名による審査を旨とし、外部への情報漏えいを防ぐために、会議録も残さないという措置を採っているとの証言があった。
もちろん情報漏洩の防止は大変重要なことであるが、会議録の作成自体が情報の漏洩につながるものではなく、より重要な、会議の内容を残すことにより、将来への禍根をなくすという効用を重要視すべきだったと考える。実際、このことが、委員会での真実の究明を阻害する一因ともなっている。
しかしながら、平成24年5月7日の東証人の証言によると選考委員会委員長と農林部長(長崎県農業振興公社副理事長)には、事前に全応募者の名簿が報告されていた。
また、平成23年11月7日の木村証人の証言によると、「選考資料を作成していただくのは事務局でございます。選考の原案という資料をつくる、それをもって一つひとつの検討をいたしましたので、そういう意味では事務局でございます」。
同じく、「原案を事務局から出されて、原案を根本からひっくり返すとか、大きな修正をするとかということはなかった」とあり、事務局作成の案がそのまま採用されているものである。
同日、同人の証言から、第2回の選考委員会で、評価基準及び点数配分が決定されているが、事務方の評価チームにより、点数配分等が修正され、選考委員会にかけることなく、変更後の配分で評価が行われており、点数が決定されている。
その後開かれた、第3回選考委員会の冒頭で点数配分等の変更が承認され、すでに変更後の評価基準で行われた評価で、審査が行われていることが確認された。
上記のように、案を事務局発信で作成しているが、その提案された内容に対して委員会でどの程度、審査されていたのか疑問であり、単に追認するだけで委員会として審査自体が形骸化していたのではないかと、推察される。
換言すれば、事務方の主導により入植者が決定されたと言わざるを得ない。
1)第1に、「募集前の入植希望者への対応の状況如何」ということについては、県農林部諫早湾干拓室営農推進班において、入植に関する事前の事務として、意向調査や入植相談などを行っており、当時の班長は、「平成16年当時ぐらいからいきますと、ほとんど今回の応募で実際入植されたところとの接点というのは、どっかで持っているぐらいです。本当にあの時新規というよりも、それ以前からのいろいろなご相談は受けておりました。それで、当時の件数としてですね、はっきりした記憶はございませんけれども、やっぱり記録だけでも数十件はあったかと思います。説明会というのを行っておりますので、その時には、すべての経営体を対象に、実際お会いして、こちらから説明をするという形をとっておりますので、諫干室の営農推進班としては、ほぼ応募があった以上の経営体との接触は持っていたと思っております。(平成23年11月22日、松永証人)」と証言している。
しかし、営農推進班の職員は、(財)長崎県農業振興公社の兼務職員となっており、同公社職員として、応募者の調査及び点数評価を行うなど、実質的な審査も行っているのであるが、これに対して、鶴田証人(当時の諫早湾干拓室長)から「当時、私どもの考えとしましては、今までにやっていない農業、環境保全型農業、大規模農業を行うということで、未経験の農業でございますので、県の方向性や、こういう農業をしてほしいということを事前に営農者の方に説明をしておりました。その説明を、県の意向と完全に合っているかどうかというのを営農者の方に確認するわけでございますので、説明した本人が、その人たちの状況を聞くというのが一番合理的な方法だと我々は思っておりました。(平成24年4月23日、鶴田証人)」との証言があり、県の方針自体が透明性の観点から適切であったか疑問が残るところである。
さらに、平成23年12月6日の平山証人の証言によると公募基準等の検討協議会の事務局職員が、入植希望者への対応を行い、営農意向調査なども行っており、基準作成者が被評価者と接触することを許している。
2)第2に、「募集後の対応の状況」については、現地調査を行った後でも、調査者が入植応募者との面談等を行っているが、その際の記録(メモ)が存在しないものがあり(平成23年10月19日、平山証人)、相談・指導内容が不明確となっている。
これらに加え、カルビーポテト鰍ニの取引証明の取得に関しても、「言った覚えはない」とする平山氏と、「指示を受けて取得した」とする永田氏の間で証言が異なり、後日、永田氏が「自主的に取得した」とここでも証言が変遷しており、前記2点を加え、鰍s・G・Fへの県の対応については、疑義を抱かざるを得ない。
先ず、大村市での営農状況を見ると、「実際耕作放棄地であったと、特に遊休農地、これに機械等を入れて整備をして植栽ですか、植えつけ、これもちゃんとしたという事実を聞いておりますので、営農はされているという判断をしたものでございます。(平成23年12月19日、中山証人)」との証言があるが、「現在は、諫早の干拓地に集中しており、大村市は年2〜3回程度の手入れを行っている程度。(平成24年1月10日、小柳証人)」となっており、本特別委員会において平成23年10月11日に行った現地視察においても、植えられた樹木の中には枯れかけているものもあり、収穫は望める状況にはなく、大村市での営農の実績はほとんどなかったものと考えざるを得ない。
翻って、力を集中しているという諫早湾干拓農地を見ると、平成24年1月10日の小柳証人からは、入植地全体の3分の1は、5年計画で土作りを行い、残り3分の2にじゃがいも、にんじん、たまねぎを作付けしていると証言がある。
同日の永田証人からは現在は売り上げ8,000万円を目標に作付計画を立てているとの証言がある。
申出時の計画と比べると、実際の入植面積が半分程度となっていることもあるが、平成24年6月5日の平山証人の証言によると、実態として、正規の職員は2人のみで、売上は4,000万円程度(資料15)であり、作付計画の半分程度しか実現できていない。
また、作付が伸びない理由の一つとして、「その粘土質の中に空気を入れるために麦を栽培し、麦わらを敷き込み、また、緑肥を敷き込みという作業が必要だと、これは当初、計画をつくっていく中でも問題視されていたところで、それがとられますと、当然収穫量が減りますので、売り上げも減るということでしたが、今後、安定的な収穫を得るためには必要なことだと、一瀬君の強い進言もありまして、その辺を今でも進行している状況だというふうに思います。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」との証言がある。
しかしながら、小麦の作付は入植時から計画されており、計画と同程度の数量を産しているが、売上としては4分の1となっている。
品 目 | 生産計画 (入植後3年目) |
平成22年度実績 | ||
数量 | 金額 | 数量 | 金額 | |
オリーブ | 1 | 1,000 | - | - |
ブルーベリー | 1 | 2,000 | - | - |
シーベリー | 0.2 | 400 | - | - |
加工馬鈴薯 | 345 | 17,940 | 129 | 11,341 |
玉ねぎ | 575 | 39,675 | 200 | 12,596 |
にんじん | 575 | 44,850 | 記載なし | 14,189 |
大豆 | 107 | 2,091 | - | - |
大根 | 64 | 26,880 | - | - |
キャベツ | 62 | 9,300 | - | - |
ブロッコリー | 280 | 7,000 | - | - |
小麦 | 44.8 | 5,247 | 43 | 1,339 |
にんにく外 | - | - | - | 773 |
合計 | - | 156,383 | - | 40,238 |
「鰍s・G・Fの経営状況」ということについては、売り上げの経緯としては、平成24年1月10日の小柳証人の証言によると、平成20年度 1,400万円、平成21年度 2,800万円、平成22年度 5,500万円で平成21年度までは赤字、平成22年度で100万円の黒字となっているが、平成21年度からは、その他売上として、農業以外の収入を、樺J川建設が行う、シロアリ駆除、建設資材の販売業務の管理業務を代行し、手数料として得ており、その額は、平成21年度 800万円、平成22年度 1,500万円となっている。
従って、農業外の売上を除くと、いまだに、赤字経営となっている。
また、これらに関わる従業員は、平成24年1月10日の永田証人の証言によると「正社員は、現在2名です。」とある。
この正社員2名によって、32haという大規模農業が確実に展開できるかも疑問なしとしないところであるが、これに加えてシロアリ駆除や建設資材の販売の管理業務の代行手数料により1,500万円という売上額を計上するということは、商行為として社会通念上、ほとんど考えられず、鰍s・G・Fの経営状況について、大きな疑念を抱かざるを得ない。
「認定の事務処理のあり方は適正であったか」ということについては、平成19年度の事業には、2件の申請があり、審査委員会での審査の結果、
・第1回目の審査結果(A〜Dで評価)(資料16)
泣Vュシュ 6名の審査委員中、A評価2名、B評価4名
B社 6名中、B評価が2名、C評価4名
となり、泣Vュシュについては、ほぼ問題なく採択可能、B社については、現申請そのままでは、採択は難しく、要検討との評価となった。
この案件については、平成24年4月6日の渡辺証人の証言により、決裁権者は、農林部長であるが、知事が非常に感心を持っている事業でもあり、了承を取るため報告している。
平成24年3月26日の渡辺参考人の発言、M本証人の証言から、どちらも事業としてはすばらしく両方ともに採択したいという思いがあり、評価が低かったB社も、採択できるようにと、B社の書類修正を指示し、審査委員に再審査を依頼、その結果を待って、平成19年12月17日には書類が完備していた泣Vュシュを併せて報告したため、知事報告は平成20年2月21日となっている。
しかし、その再審査に当たっては、「第三者委員会を2回目開催せずに、これは審査依頼ということで、改善点を整理したものを多分お配りして、書面でのご意見をいただいたと思います。
なぜそういうふうなやり方をしたかについては、一つには時間的な関係もあってですね、その当時、シュシュも採択方針でやっておりましたので、全体を急いで審査をしたいということの中で、開催してではなくて、書面ででも早急にやりたいというふうな判断でそういった書面での依頼になったかと思います。審査委員会を開催することなく(平成24年4月6日、M本証人)」と証言があり、通常と異なる手法で行われている。
ところが、平成24年4月6日の渡辺証人の証言によると、「知事に報告に行ったところ、評価がよかった泣Vュシュについては、既にアグリビジネスで成功しており、過去シュシュというのは1回、知事特認ということで補助を受けておりますので、同じところに2度やるのは趣旨が違うんじゃないか。広く、県として補助するなら特定のところに集中してやるのはおかしいんじゃないかと指摘され、農林部内で再度検討の結果、不採択とした。」とされ、平成24年3月26日のM本証人も「アグリビジネスをより広く県下に生み出したいという思いがあってつくった補助ということで、直近の18年度まで同様の補助を受けておったということの中で、一方に偏ることなく、より広くやるというそういう制度の趣旨に合わないんじゃないかと指摘された」と証言している。
しかしながら、これらの事務処理が遅くなったことについては、決定が年度末に近づくと、採択後の事業実施が難しくなることを知りつつ、また、「3月までの事業年度内に事業が完成をしなくちゃいけないということになると、一日でも早く決定をもらわなくてはいけない。そういうことで、市を通じて何度となくお願いをした経過がございます。(平成24年4月6日、山口証人)」と申請者から申し込まれているにもかかわらず、年度末の決定となっており、何らかの意図があるのではないかとの疑念を抱かざるを得ないものである。
さらに、知事が過去の採択事例を知っていたことに関しては、平成24年3月26日にM本証人から「知事レクの際に過去の採択事例は特に報告していないが、毎年度採択結果は報告しているので知っていたのではないか」との証言があるが、この事業が3カ年間の事業であり、採択が3年前のことであることを考えるとにわかに首肯することはできない。
次に、山口氏(泣Vュシュ 代表取締役)に対する、鰍s・G・Fへの協力の働きかけについては、「何名かから話はあったが、当人からはなかった(平成24年3月26日、山口参考人)」と発言されているが、「協力依頼に対して、協力はしたいけれど、技術を持っていないので、自分たちではできないと言ったことが「受けてくれなかった」(断られた)と思われたかもしれない。(平成24年3月26日、山口参考人)」とも発言している。
特に、東氏の関与については、東氏自身からは、「特にT・G・Fに限って「よろしく頼む」だとか、あるいは先ほど出ました「協力してくれ」だとかという話はやった覚えはございません。(平成24年4月6日、東証人)」、「私どもとしては、連携が非常に大事だと、かぎを握っているなという話はあちこちでさせていただいたと思っています。(平成24年4月6日、東証人)」との証言があるが、山口氏からは、「特に直接的に、東さんから私の方にT・G・Fを頼むというのは、具体的に東さんからという断定ではございません。(平成24年4月6日、山口証人)」、「東証人から直接、その雑談の中で全体的なことはありましたけれども、T・G・Fに限ってということはございません。(平成24年4月6日、山口証人)」と否定しているが、もって回った言い方になっており、不自然な口調に思える。
また、小林委員からの「谷川さんところが1回だけしか来なかったと、こう言っているんだけどね。今言っているように、それで周りの関係者から、T・G・Fを助けてくれ、T・G・Fに協力してくれということは何回もあったということを言っているじゃないか、複数からと。だから、それ自体断っていることなんだよ。そういうようなことをあなたがそうやって結果的にお断りになったと。そのことが、要するに今回の不採択になったということは、さっきも言っているように、何度も何度もあなたは顔を真っ赤にしながらおっしゃったではありませんか。このことについては間違いがないんでしょう。私にずっと嘘を言われてきたんですか。」との質問に対し、「嘘を言ったつもりはございません。しかしながら、その発言の趣旨が正しく伝わってなかった可能性はあると思います。(平成24年4月6日、山口証人)」との証言もあり、また、補助の採択について、知事の意向があったのではとの質問に、「あったとは信じたくもありませんし、そういうことはなかったと信じております。」との証言を行っているが、明確な証言は得られなかった。
5. 金子原二郎前長崎県知事(現参議院議員)及び谷川弥一元農林水産大臣政務官(現衆議院議員)の株式会社T・G・Fの入植等にかかる関わりについて論議となった事項
(1) 金子原二郎前長崎県知事(現参議院議員)の株式会社T・G・Fの入植等にかかる関わりについて
「金子前知事が親族企業の応募や審査状況は把握できていたのではないか」ということについて、応募状況は、平成24年4月6日の渡辺証人から「募集締切の翌日平成19年9月4日に報告している。」との証言があり、また、平成20年3月20日の読売新聞記事においても、「昨年9月、営農希望者のリストを見て知った。娘は役員を外れたほうがいいと思ったが、嫁ぎ先が経営する企業に口出しするわけにもいかず、言いそびれた。」(資料17)とあることから、平成19年9月4日には知っていたものとも考えられる。一方、平成20年3月19日の朝日新聞では「娘から話を聞いて『まずい』と思ったが、言いそびれてしまった。」(資料18)との記事もある。
このことから、営農希望者リストを見る前に娘から話があっていたとも思われ、また、それに対し、「まずい」と反応するということは、これら一連の流れに、好ましくないとの思いを抱いたことは明らかである。
平成24年4月6日に渡辺証人は、「応募状況の報告の際に、知事から選定過程については報告不要と言われた。」と証言しているが、平成24年4月23日には、「貸付者が確定する第4回選考委員会の開催前に、委員会資料により知事に報告している。」とも証言しており、入植者が確定する前にすべての入植者の選定状況、入植地、面積を金子前知事は知っていたことになる。
また、「選考委員会の前とか、それから理事会の前とか、そういう時には、もちろん諫干室長、それから公社の副理事長でもあり、当時の農林部長でもあります渡辺教育長にも、次の選考委員会ではこういう形でかけたいと思いますという相談はしておりました。(平成24年5月7日、東証人)」との証言もあり、県としても、逐一、内容は承知していたこととなる。
このことから、知事は、中間報告は要らないと発言しているが、募集締切前に娘の企業が入植に応募することも知っており、決定前に選定者を報告しても、そのまま受けるなど、その発言の真意は疑わしく、県が途中経過をすべて把握できていたことを考えれば、すべてを知り得ていたものと推察される。
こうした、全てを知り得た中で、結果的に親族企業の入植を許したことは、「まずい」と言いながら、入植することを容認するものとして、一般の県民感情からは、到底受け入れ難いものである。
(2) 谷川弥一元農林水産大臣政務官(現衆議院議員)の株式会社T・G・Fの入植等にかかる関わりについて
「鰍s・G・Fへの関与」ということについては、当初、設立を企図していた樺J川農場(仮称)の構成員に役員として谷川弥一氏が株主の一人として掲載されている。(資料19)
これに対し、「通常の商業法人をつくる中での親族企業の在り方で構成されてあったというふうに思いますので、そういった認識でありました。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」、「通常の商業法人として子会社をつくるようなイメージで構成していいかというような質疑があったというふうに記憶しております。(平成24年1月10日、谷川喜一証人)」と弁明しているが、経営から退いているはずの谷川弥一氏が役員として入ることが通常の形態なのであれば、その影響力についても一考させられるものである。
その後、「農業会議の方は、誰であろうといいんですが、農業ができるか、できないか、農作業ができるか、できないか、それだけで判断していました。ですから、そこで、谷川代議士とか谷川貞子さんは、農業会議の方から、外してくださいというふうなアドバイスを受けました。(平成24年1月10日、永田証人)」として、鰍s・G・F設立に際しては、構成員から外れているものの、長崎県農業改良普及センターに新規就農者としての相談した際の県のメモに「谷川会長に説明する」という記載がある。(資料1)
これについては、平成24年1月23日の永田証人・谷川喜一証人から「谷川会長と言った覚えはない、谷川社長に説明した。」との証言もあるが、記憶と記録の比較において信頼性は記録が高いと言わざるを得ない。
また、諫早湾干拓農地に知事の親族企業入植の新聞記事では、平成20年3月19日の朝日新聞「取締役は別の人間と聞いていた。疑念を抱かれてもしかたがない。すぐに取締役を代えさせる。」(資料18)、平成20年3月20日の西日本新聞「長男がその会社の代表とは知らなかったが、いろいろ指摘を受けても仕方ない。長男夫婦は取締役を退任する。」(資料17)との記事がある。
これらのことは、経営等に関しての影響力を窺わせるもの以外の何ものでもない。
また、一方で、平成20年3月20日の読売新聞記事では「息子の会社で実験農場を行ってきた。干拓地への入植はその一つで、何が問題だというのか。国会議員や知事の親族であることが問題なら、息子夫婦離婚し、私が議員を辞職すれば良いのか。」(資料17)と開き直りとも取れる記事もあり、先の新聞記事の内容の真意を疑わせるものである。
さらに、谷川喜一氏は、平成24年1月10日に「谷川代議士の元秘書である山下氏に依頼して、農林水産省の職員を紹介してもらい、その職員からカルビーポテトを紹介してもらった。」とも証言し、山下氏は平成24年1月23日に「カルビーの件で、谷川喜一氏から相談を受けた記憶はない。」と証言しているが、自ら仕える代議士の息子の依頼を忘れるということは、一般には考え難いものである。
こうしたことから、谷川弥一氏が鰍s・G・Fの設立について当初から関与するとともに、大村市の草場での営農や諫早湾干拓地への入植について重大な関心を寄せていたことは間違いなく、自らの公職を省みない、身内の利益を優先する立場を取っていたものとして、一般の県民感情からは到底受け入れ難いものである。
6. 財団法人長崎県農業振興公社のリース料の回収(弁済)確保等及び県の行うべき営農指導等について論議となった事項等
(1) (財)長崎県農業振興公社のリース料の回収(弁済)確保等について
「包括外部監査での指摘の状況如何」ということについては、「平成24年3月末現在で、リース料の滞納は、1,700万円強となっており(平成24年5月7日、農地利活用推進室長)」、「そういう経営状況、特にリース料の未納というものにつきましては、再設定(リースの更新)の判断基準として持っていきたい。(平成24年5月7日、農林部長)」との発言があった。
しかし、これまで多額の経費を投入したからこそ、厳正な審査を通じて農業経営が間違いなく適正に行われるであろう経営体を選別してきたという、これまでの県や(財)長崎県農業振興公社の業務執行のあり方が間違っていたと指摘せざるを得ない。
(2) 県の入植者への営農指導等について
「県として入植者の現状把握はどうなっているのか」ということについては、「全体の経営状況の把握は行っておらず、個別の融資の相談などがあった場合にのみ経営状況の確認を行っている。(平成24年5月7日、農林部長)」とのことであり、「作付計画の実現性については毎年チェックしている。(平成24年5月7日、農林部長)」との発言があったが、これは、通常の営農指導の事務であり、諫早湾干拓農地という重大な県の事業として行われている入植に関して、(財)長崎県農業振興公社に多大の債権を持つ者としても、営農・経営の状況を詳しく把握し、的確な指導を行うとともに、(財)長崎県農業振興公社との十分な連携が必要である。
1. 谷川喜一証人の虚偽の陳述に対する地方自治法第100条第9項の規定に基づく告発
1)平成19年2月、大村市農業委員会に鰍s・G・Fが提出した「農業経営基盤強化促進事業申出書」に添付されている資料において、谷川喜一氏は、農作業に90日間従事すると記載され、谷川富貴氏においては、農作業従事日数150日と記載されている。
しかし、谷川喜一氏は、樺J川建設、樺J川商事、潟}ルキ開発の代表取締役を兼務しており、その業務量から考えると、社会通念上、要件を充足させることは困難である。
また、「私が農業生産法人の4要件について、設立当初、正確に把握をしておりませんで、平成20年2月に永田証人の方から、要件を満たしていない旨、私の方に報告がありました。」との谷川喜一証人の証言にあるように、実際、その要件を充足することはできていない。
さらに、平成19年度の農業生産法人の報告書によると、従事日数は0日と報告されており、充足できないどころか、従事の実績すらないものである。
次に、谷川富貴氏については、当時、妊娠中であり、150日もの農作業への従事は実質不可能と考えられる。
実際、平成19年度の農業生産法人の報告書によると、従事日数は0日と報告されている。
加えて、小柳証人の証言では、「現在は、諫早の干拓地に集中しており、大村市は年2〜3回程度の手入れを行っている状況。」と述べられており、本委員会が平成23年10月11日に行った現地視察においても、植えられた樹木の中には枯れかけているものもあり、収穫は望める状況にはなく、大村市での営農の実績はほとんどなかったと考えざるを得ない状況である。
これらの日数の記載は、この申請のみではなく、平成19年6月に大村市に行った「農業経営改善計画認定申請書」、平成19年8月に(財)長崎県農業振興公社に行った「諫早湾干拓農地借受申出書」、平成19年8月に諫早市に行った「農業経営改善計画認定申請書」などにおいても冒頭に記したものと同様の数字が使用されている。
さらに、谷川富貴氏、田丸加代子氏(鰍s・G・F元取締役)両名に、「鰍s・G・Fの各種申請の計画内容及びその実績について」証言を求めるため出頭を請求したところ、出頭しない旨の上申書が提出されたが、その中で「証言を求める事項」は、「農地法違反による刑事罰の対象となる事項に関して証言を求めるものであること。」、「谷川喜一氏が刑事訴追を受けるおそれがある事項に関するものである。」と記載されており、このことは、申請内容に虚偽の事実が記載されていると自認したとも言える内容である。
これらのことから、申請内容について、当初から要件を充足させようという意思は見えず、大村市農業委員会から農業生産法人として認められるための形式上だけの数字であるにとどまらず、計画遂行の意思を汲み取ることができない、実態と異なる架空の記載がなされているばかりか、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえで虚偽の記載をしたものと断じざるを得ない。
これについては、大村市、諫早市農業委員会、諫早市に対する申請についても同様の帰結である。
2)ところで、法人の設立という重大な行為に対し、一般的に設立に直接関係する要件には代表取締役自らが十分な注意を払うべきところであるが、谷川喜一証人は、本委員会において鰍s・G・Fの設立に関し、「昨今の受注環境の厳しさの中、逆にいえば受注がとれていない状況で、私どもの住宅、非木造部門以外の社員も40名を超えるスタッフがおりますが、このメンバーたちになかなか現場を提供できないほど苦戦をしております。これも、私にとって見れば非常に厳しい環境にあると言わざるを得ないと思っております。
なぜ農業を目指したかというご質問がありました。先ほどお話しさせていただきましたように、公共工事に関しましても受注状況は非常に厳しい。また、住宅業界におきましても、これから先、人口減少の中、当然市場が狭まる中、市場を求めて九州各県、支店展開をしておりますが、それでも着工戸数は落ちてまいります。その中で、ここ10年、15年に関しましては、着工戸数ないしはリフォームに対して力を入れて経営努力をしていきたい、経営努力で何とかしていかなければならないというふうに思っておりますけれども、10年、20年を見た時に、今のままでは当然成り立たないだろうということで、もう一つの柱を持ちたいということで農業を選択させていただいたということです。
私ども、41年目を迎えておりますが、定年退職者の方も当然これから多く出てこられる中で、また、第二の人生を谷川で歩んでいただくためにも、そういった受け皿があってもいいのではないかということで、農業を選択させていただきました。その中で今回の農業に関しましては、一つは大村の草場の果樹園の問題と、諫早湾干拓に対する入植の問題と、それぞれに国内、国外を含めまして、これは将来性、将来的な見通しがあるのではないかと。
草場に関しましては耕作放棄地、遊休地がたくさん、あの斜面に広がっておりますので、あの斜面を小豆島のようにオリーブ畑に変えていくことで、実を我々が収穫する、もしくは実自体をとっていただいた方から我々が購入する、こういったことで、我々自身が作物を育てる、もしくは協力農家の方々に育てていただくというようなことで成り立つのではないかとか、また、諫早湾干拓地の方では、大規模な農地になりますので、あれだけ広大なフラットな農地は日本全国探しても、北海道以外にはないということで、省力化した農業経営ができるのではないか。このような考えをもって、具体的に検討を始めたということになると思います。
これから農地に対しましてはさまざまな問題も、今現在、例えば土づくりの観点からいきましても、なかなか売上げ的にも貢献できていないところがありますが、5年、7年、10年という中では確実に収益が残せる土壌でもあると、また規模的にも広がっていくものだというふうに確信をして、今現在、経営を進めている状況にあると思います。」と証言しており、鰍s・G・Fの設立については、農業経営に携わって行くという、並々ならぬ決意とともに、なおのこと力を入れていたものと思われ、従って、会社経営者として当然に会社設立に関する法定の手続きや借り上げ予定農地についても十分承知していたと窺われる。
さらに、新聞報道がなされた後、代表取締役を辞任した理由として、谷川喜一証人は「農業に対する思いはありましたが、現実問題として、従事日数等含めて不足しているということで、これは言いますように、マスコミの報道と、また、実際の従事日数等の問題を考えて辞任をした。」と証言しており、自身が農業生産法人にかかる要件を満たしていないことを認識していたことが窺えるものである。
3)加えて、まず、当初に設立を企図していた樺J川農場(仮称)の構成員に役員として谷川弥一氏が株主の一人として掲載されているが、その後、「農業会議の方は、農業ができるか、できないか、農作業ができるか、できないか、それだけで判断していました。ですから、そこで、谷川代議士とか谷川貞子さんは、農業会議の方から、外してくださいというふうなアドバイスを受けました。(永田証人証言)」として、谷川喜一氏が自ら代表取締役を務める鰍s・G・F設立までに、両名を構成員から外したという経緯もあり、このことをして法人役員の構成要件が通常と異なることなども、知り得ていたと考えられる。
また、県農業会議からは、役員構成について、永田氏に対し、本当に計画通り実行できるのか、農業従事と農作業従事の違いも説明しながら、何度も確認されており、それを受けた永田氏は、「その点は、再度、谷川社長の方にお聞きして、みんなやるつもりだということでしたので、農業会議の方に最終的な回答をいたしました。」と証言しており、永田氏と谷川喜一氏の意思疎通に齟齬があるとは思われない。
4)谷川喜一氏自身は、本委員会における最初の証言では、「4要件におきましては、一つは株式会社であるということ。農業収入が50%以上あるということ。また、株主、構成員は原則150日以上の農業に従事をしなければならないということ。また、代表者、責任者は原則150日以上の農業従事ないしは60日以上の農作業をしなければならないということだというふうに理解をしております。」「農業従事といいますのは経営全般、実際に農地での農作業を行わなくてもデスクワークや、販路の開拓であるとか、そういうところも含めたものだというふうに理解をしております。農作業は実際に農地に入って、実際に土と触れ合うというものであるというふうに認識をしております。」と正確に述べている。しかし、後には「農業生産法人の4要件に関しましては、特別委員会等を通しまして改めて学ばせていただいた部分がありまして、設立当初は内容が十分ではなかったというふうに思います。」、「間違いありません。当初、農作業、農業従事の区別がついておりませんでした。」、「私が農業生産法人の4要件について、設立当初、正確に把握をしておりませんで、」と証言し、申請当時は、要件について理解していなかったことを強調している。
加えて、県農業会議の相談時に作成された異業種参入支援事業相談等処理カードに「農業生産法人の構成員と役員の要件については、谷川喜一社長の了解を得て以下の形で進める」と、また、出資額についても「谷川喜一社長と協議中」と記載されており、逐一、谷川喜一氏と協議のうえ、事務を進めていることが窺えるが、谷川喜一氏は、申請の際の書類については、「正直全幅の信頼を持って任せていた部分がありまして、流れ作業的な捺印であったのは間違いないと思います。
私自身が当然自分の名前と社判が入っておりますので確認をとって進めていくところでありますけれども、その当時、正確に把握をして印を押したかと言われれば、それはあいまいなものしかなかったと言わざるを得ないと思います。」と証言している。
1)で指摘したとおり、谷川喜一氏は、虚偽の申請を認識していたと言え、さら
に2)、3)及び4)の前段の内容から、設立に必要な要件も知っていたものと認められることから、4)の後段の証言は虚偽であると断定する。
この虚偽の陳述は、入植者選定に関して誤りがなかったかどうかを事実と照らして行う本委員会の審査に、重大な影響を与えるものであり、単に、記憶に反した証言として看過できるものではない。
よって、本委員会としては地方自治法第100条第7項の規定に該当する虚偽の陳述と認め、同条第9項の規定に基づき、次のとおり告発を行う動議を提出することを決定した。
1)平成19年2月、大村市農業委員会に鰍s・G・Fが提出した「農業経営基盤強化促進事業申出書」に添付されている資料において、谷川喜一氏は、農作業に90日間従事すると記載され、谷川富貴氏においては、農作業従事日数150日と記載されている。
しかし、谷川喜一氏は、樺J川建設、樺J川商事、潟}ルキ開発の代表取締役を兼務しており、その業務量から考えると、社会通念上、要件を充足させることは困難である。
また、「私が農業生産法人の4要件について、設立当初、正確に把握をしておりませんで、平成20年2月に永田証人の方から、要件を満たしていない旨、私の方に報告がありました。」との谷川喜一証人の証言にあるように、実際、その要件を充足することはできていない。
さらに、平成19年度の農業生産法人の報告書によると、従事日数は0日と報告されており、充足できないどころか、従事の実績すらないものである。
次に、谷川富貴氏については、当時、妊娠中であり、150日もの農作業への従事は実質不可能と考えられる。
実際、平成19年度の農業生産法人の報告書によると、従事日数は0日と報告されている。
加えて、小柳証人の証言では、「現在は、諫早の干拓地に集中しており、大村市は年2〜3回程度の手入れを行っている状況。」と述べられており、本委員会が平成23年10月11日に行った現地視察においても、植えられた樹木の中には枯れかけているものもあり、収穫は望める状況にはなく、大村市での営農の実績はほとんどなかったと考えざるを得ない状況である。
これらの日数の記載は、この申請のみではなく、平成19年6月に大村市に行った「農業経営改善計画認定申請書」、平成19年8月に(財)長崎県農業振興公社に行った「諫早湾干拓農地借受申出書」、平成19年8月に諫早市に行った「農業経営改善計画認定申請書」などにおいても冒頭に記したものと同様の数字が使用されている。
さらに、谷川富貴氏、田丸加代子氏(鰍s・G・F元取締役)両名に、「鰍s・G・Fの各種申請の計画内容及びその実績について」証言を求めるため出頭を請求したところ、出頭しない旨の上申書が提出されたが、その中で「証言を求める事項」は、「農地法違反による刑事罰の対象となる事項に関して証言を求めるものであること。」、「谷川喜一氏が刑事訴追を受けるおそれがある事項に関するものである。」と記載されており、このことは、申請内容に虚偽の事実が記載されていると自認したとも言える内容である。
これらのことから、申請内容について、当初から要件を充足させようという意思は見えず、大村市農業委員会から農業生産法人として認められるための形式上だけの数字であるにとどまらず、計画遂行の意思を汲み取ることができない、実態と異なる架空の記載がなされているばかりか、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえで虚偽の記載をしたものと断じざるを得ない。
これについては、大村市、諫早市農業委員会、諫早市に対する申請についても同様の帰結である。
2)ところで、法人の設立という重大な行為に対し、一般的に設立に直接関係する要件には代表取締役自ら、十分な注意を払うべきであるところであるが、谷川喜一証人は、本委員会において鰍s・G・Fの設立に関し、「昨今の受注環境の厳しさの中、逆にいえば受注がとれていない状況で、私どもの住宅、非木造部門以外の社員も40名を超えるスタッフがおりますが、このメンバーたちになかなか現場を提供できないほど苦戦をしております。これも、私にとって見れば非常に厳しい環境にあると言わざるを得ないと思っております。
なぜ農業を目指したかというご質問がありました。先ほどお話しさせていただきましたように、公共工事に関しましても受注状況は非常に厳しい。また、住宅業界におきましても、これから先、人口減少の中、当然市場が狭まる中、市場を求めて九州各県、支店展開をしておりますが、それでも着工戸数は落ちてまいります。その中で、ここ10年、15年に関しましては、着工戸数ないしはリフォームに対して力を入れて経営努力をしていきたい、経営努力で何とかしていかなければならないというふうに思っておりますけれども、10年、20年を見た時に、今のままでは当然成り立たないだろうということで、もう一つの柱を持ちたいということで農業を選択させていただいたということです。
私ども、41年目を迎えておりますが、定年退職者の方も当然これから多く出てこられる中で、また、第二の人生を谷川で歩んでいただくためにも、そういった受け皿があってもいいのではないかということで、農業を選択させていただきました。その中で今回の農業に関しましては、一つは大村の草場の果樹園の問題と、諫早湾干拓に対する入植の問題と、それぞれに国内、国外を含めまして、これは将来性、将来的な見通しがあるのではないかと。
草場に関しましては耕作放棄地、遊休地がたくさん、あの斜面に広がっておりますので、あの斜面を小豆島のようにオリーブ畑に変えていくことで、実を我々が収穫する、もしくは実自体をとっていただいた方から我々が購入する、こういったことで、我々自身が作物を育てる、もしくは協力農家の方々に育てていただくというようなことで成り立つのではないかとか、また、諫早湾干拓地の方では、大規模な農地になりますので、あれだけ広大なフラットな農地は日本全国探しても、北海道以外にはないということで、省力化した農業経営ができるのではないか。このような考えをもって、具体的に検討を始めたということになると思います。
これから農地に対しましてはさまざまな問題も、今現在、例えば土づくりの観点からいきましても、なかなか売上げ的にも貢献できていないところがありますが、5年、7年、10年という中では確実に収益が残せる土壌でもあると、また規模的にも広がっていくものだというふうに確信をして、今現在、経営を進めている状況にあると思います。」との証言をしており、鰍s・G・Fの設立については、農業経営に携わって行くという、並々ならぬ決意とともに、なおのこと力を入れていたものと思われ、従って、会社経営者として当然に会社設立に関する法定の手続きや借り上げ予定農地についても十分承知していたと窺われる。
さらに、新聞報道がなされた後、代表取締役を辞任した理由として、谷川喜一証人は「農業に対する思いはありましたが、現実問題として、従事日数等含めて不足しているということで、これは言いますように、マスコミの報道と、また、実際の従事日数等の問題を考えて辞任をした。」と証言しており、自身が農業生産法人にかかる要件を満たしていないことを認識していたことが窺えるものである。
3)加えて、まず、当初に設立を企図していた樺J川農場(仮称)の構成員に役員として谷川弥一氏が株主の一人として掲載されているが、その後、「農業会議の方は、農業ができるか、できないか、農作業ができるか、できないか、それだけで判断していました。ですから、そこで、谷川代議士とか谷川貞子さんは、農業会議の方から、外してくださいというふうなアドバイスを受けました。(永田証人証言)」として、鰍s・G・F設立までに、構成員から外したという経緯もあることから、法人役員の構成要件が通常と異なることなども、谷川喜一氏は、知り得ていたと考えられる。
また、県農業会議からは、役員構成について、永田氏に対し、本当に計画通り実行できるのか、農業従事と農作業従事の違いも説明しながら、何度も確認されており、それを受けた永田氏は、「その点は、再度、谷川社長の方にお聞きして、みんなやるつもりだということでしたので、農業会議の方に最終的な回答をいたしました。」と証言しており、永田氏と谷川喜一氏の意思疎通に齟齬があるとは思われない。
4)谷川喜一氏自身は、本委員会における最初の証言では、「4要件におきましては、一つは株式会社であるということ。農業収入が50%以上あるということ。また、株主、構成員は原則150日以上の農業に従事をしなければならないということ。また、代表者、責任者は原則150日以上の農業従事ないしは60日以上の農作業をしなければならないということだというふうに理解をしております。」「農業従事といいますのは経営全般、実際に農地での農作業を行わなくてもデスクワークや、販路の開拓であるとか、そういうところも含めたものだというふうに理解をしております。農作業は実際に農地に入って、実際に土と触れ合うというものであるというふうに認識をしております。」と正確に述べている。しかし、後には「農業生産法人の4要件に関しましては、特別委員会等を通しまして改めて学ばせていただいた部分がありまして、設立当初は内容が十分ではなかったというふうに思います。」、「間違いありません。当初、農作業、農業従事の区別がついておりませんでした。」、「私が農業生産法人の4要件について、設立当初、正確に把握をしておりませんで、」と証言し、申請当時は、要件について理解していなかったことを強調している。
加えて、県農業会議の相談時に作成された異業種参入支援事業相談等処理カードに「農業生産法人の構成員と役員の要件については、谷川喜一社長の了解を得て以下の形で進める」と、また、出資額についても「谷川喜一社長と協議中」と記載されており、逐一、谷川喜一氏と協議のうえ、事務を進めていることが窺えるが、谷川喜一氏は、申請の際の書類については、「正直全幅の信頼を持って任せていた部分がありまして、流れ作業的な捺印であったのは間違いないと思います。
私自身が当然自分の名前と社判が入っておりますので確認をとって進めていくところでありますけれども、その当時、正確に把握をして印を押したかと言われれば、それはあいまいなものしかなかったと言わざるを得ないと思います。」と証言している。
1)で指摘したとおり、谷川喜一氏は、虚偽の申請を認識していたと言え、さらに2)、3)及び4)の前段での内容から、設立に必要な要件も知っていたものと認められることから、4)の後段の証言は虚偽のものと断定するが、この虚偽の陳述は、入植者選定に関して誤りがなかったかどうか事実と照らして行う本委員会の審査において、重大な影響を与えるものであり、単に、記憶に反した証言を行ったものと看過できるものではない。
よって、本県議会としては地方自治法第100条第7項の規定に該当する虚偽の陳述と認め、同条第9項の規定に基づき、谷川喜一氏を告発する。
なお、告発にかかる必要な手続については、議長に一任する。
2. 株式会社T・G・Fの諫早湾干拓地への入植決定を取り消すことを財団法人長崎県農業振興公社に求める決議の提出
諫早湾干拓農地借受申出書の添付資料「営農計画書」に谷川喜一氏が年間90日間、田丸加代子氏は60日間、谷川富貴氏は150日間、自家農業に従事すると記載されているが、[1、1)で述べている理由と同様の理由により、これは、虚偽の記載である。
さらに、申出書の内容に、主な生産品目の販売先としてカルビーポテト鞄凾ニ記載されており、後述の評価点数の評価に大きな影響を与えることとなるが、売上計画においても、これは全体の1割程度に過ぎないものである。
取引の根拠としている、取引証明書についても内容を見る限り、数量等の記載もなく、根拠としては不十分なものと言わざるを得ない。
加えて、入植後3年目の収支計画では、売り上げ1億6千万円弱で2百万円弱の黒字を見込んでいるが、平成22年度の農業売上実績は、その4分の1に過ぎず、農業売上だけでは、黒字にならず、農業以外の売上を計上し、黒字を確保している。
確かに、入植面積は60haから32haと半分程度になっているが、計画では200万円弱の黒字を見込んでいたものが、実際には農業売上だけでは、1,000万円を越える赤字となっており、当初の計画自体に疑問が生じてくる。
また、資本金については、当初200万円で法人を設立しており、これについても大規模農業を目指す法人としては如何なものかと考えるが、入植決定直後の5月20日には、資本を減額し、60万円になっている。
こうしたことは、まさに、申請内容が単なる将来計画ということにとどまらず、計画遂行の意思、並びに農業で自立する意欲と能力を有するものと汲み取ることができない、実態と異なる架空の記載がなされているばかりか、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえでの虚偽の記載による申し出となっている。
この申請にかかる虚偽の記載及び根拠が不明朗な記載は、単に誤った情報を記載したという事実にとどまらず、これらがまかりとおることで、有望で意欲ある農業者の入植に対する意欲を減退させ、現在、意欲的に営農を行っている入植者に対しても悪影響を与えるものであり、超長期の返済計画など包括外部監査においても今後の経営について危ぶまれている現状において、将来への禍根となりかねない。
よって、本特別委員会は、鰍s・G・Fの行為が諫早湾干拓農地保有合理化促進事業実施要領の第3に違反するものとして貸付通知書の交付の取消しをすべきものとして、下記内容の決議を行う動議を提出することを決定した。
3. 株式会社T・G・Fに対し、平成25年4月1日以降において諫早湾干拓地の利用の継続を認めないことを財団法人長崎県農業振興公社に求める決議の提出
諫早湾干拓農地借受申出書の添付資料「営農計画書」に谷川喜一氏が年間90日間、田丸加代子氏は60日間、谷川富貴氏は150日間、自家農業に従事すると記載されているが、[1、1)で述べているとおり、これは、虚偽の記載である。
さらに、申出書の内容に、主な生産品目の販売先としてカルビーポテト鞄凾ニ記載されており、後述の評価点数の評価に大きな影響を与えることとなるが、売上計画においても、これは全体の1割程度に過ぎないものである。
取引の根拠としている、取引証明書についても内容を見る限り、数量等の記載もなく、根拠としては不十分なものと言わざるを得ない。
加えて、入植後3年目の収支計画では、売り上げ1億6千万円弱で2百万円弱の黒字を見込んでいるが、平成22年度の農業売上実績は、その4分の1に過ぎず、農業売上だけでは、黒字にならず、農業以外の売上を計上し、黒字を確保している。
確かに、入植面積は60haから32haと半分程度になっているが、計画では200万円弱の黒字を見込んでいたものが、実際には農業売上だけでは、1,000万円を越える赤字となっており、当初の計画自体に疑問が生じてくる。
また、資本金については、当初200万円で法人を設立しており、これについても大規模農業を目指す法人としては如何なものかと考えるが、入植決定直後の5月20日には、資本を減額し、60万円になっている。
こうしたことは、まさに、申請内容が単なる将来計画ということにとどまらず、計画遂行の意思、並びに農業で自立する意欲と能力を有するものと汲み取ることができない実態と異なる架空の記載がなされているばかりか、農作業等に従事する意思がまったくないことを承知したうえでの虚偽の記載による申し出となっている。
上記に加え、農業だけでは経営が成り立たないため、平成21年度から樺J川建設が行うシロアリ駆除などの販売・管理業務を代行することで手数料収入を得ているが、平成21年度は、総売上2,800万円のうち800万円、平成22年度は、総売上5,500万円のうち1,500万円と総売上の3割近くを占めるものとなっているが、これらに関わる従業員として、正社員は、現在2名に過ぎない。
この正社員2名によって、32haという大規模農業が確実に展開できるかも疑問なしとしないところであるが、これに加えてシロアリ駆除や建設資材の販売の管理業務の代行手数料により1,500万円という売上額を計上するということは、商行為として社会通念上、ほとんど考えられず、鰍s・G・Fの経営状況について、大きな疑念を抱かざるを得ない。
このことは、農地法上の要件に抵触しないまでも、莫大な公費を投入するなか、本件の農業振興のあり方として画期的な大規模農業を実践するものとして、県民期待の事業であり、それを担う選ばれた経営体としては、本来は、農業のみで成り立つべきものであり、生産性を高め、農業収入を上げることで、本件農業の牽引役としての役割を期待されているものであることを考慮すると、甚だ適格性を欠くものと言わざるを得ない。
さらに、リース料については、現在は、設定額から減額された金額となっているが、5年後となる来年度には、改定が予定されており、本来の設定額に戻される予定となっている。
このことは、一般的に、入植後、5年間で経営を軌道に乗せることが可能と考えられており、その実践を求められているものと思われる。
以上のことから、入植後の農業経営に対して真摯に取り組んでいるのか、取り組む意欲があるのか、甚だ疑問であり、農業で自立できる意欲と能力を有するものとは認めることはできない。
また、要件違反の部分は補正されたとはいえ、虚偽の申請によって入植した営農者に対し、そのまま入植を認め続けることは、他の入植者に対する悪影響のみならず、諫早湾干拓地への入植に対する県民の不信を招くものであることから、農地の利用を継続させることを認めることはできない。
よって、本特別委員会は、鰍s・G・Fに平成25年3月31日で期間が満了する農地の利用を継続させることを認めることはできないことから、下記内容の決議を行う動議を提出することを決定した。
4. 長崎県及び財団法人長崎県農業振興公社の業務執行に対する透明性等の確保を求める決議の提出
1)県農林部諫早湾干拓室営農推進班において、入植に関する事前の事務である意向調査や入植相談などを行っており、当時の班長であった、松永証人は、「平成16年当時ぐらいからいきますと、ほとんど今回の応募で実際入植されたところとの接点というのは、どっかで持っているぐらいです。本当にあの時新規というよりも、それ以前からのいろいろなご相談は受けておりました。それで、当時の件数としてですね、はっきりした記憶はございませんけれども、やっぱり記録だけでも数十件はあったかと思います。説明会というのを行っておりますので、その時には、すべての経営体を対象に、実際お会いして、こちらから説明をするという形をとっておりますので、諫干室の営農推進班としては、ほぼ応募があった以上の経営体との接触は持っていたと思っております。」と証言している。
しかし、営農推進班の職員は、(財)長崎県農業振興公社との併任職員で、同公社職員として、応募者の調査及び点数評価を行うなど、実質的な審査も担当する立場にあり、入植審査者が入植希望者へ入植指導を行うことについては、公平・公正で客観的な審査を阻害することにもなりかねず、県の方針が透明性の観点から適切であったと認めることはできず、県民の非難を免れることはできない。
2)さらに、鰍s・G・Fの設立に際しては、農地の借用申請や農業生産法人のあり方などについて、相談を受け、県農業会議も含め幾度となく対応しているが、通常、農地の借用に当たっては、所管する農業委員会に申請するものであり、事実、県と同席していた長崎市農業委員会の職員からは、申請先である大村市農業委員会を訪ねるよう指導されているが、実際には、鰍s・G・Fの設立後まで赴くことはなく、県・県農業会議への相談を繰り返している。
3)加えて、ながさき「食と農」支援事業の採択事務において、12月に書類は整っており、申請者から早急な事務処理を求められていたにもかかわらず、他の申請者に合わせて2月まで引き伸ばし、採択の決裁を行っているが、当該年度の申請件数は2件で、両方採択することは可能であったことから、必ずしも、2件を同時に決定する必要はないものである。
また、他方の申請者の審査の際に、1回目は審査委員会を開催して審査しているものの、2回目は審査委員会を開催することなく、書類を委員に送付し検討結果を返信してもらう方法で、審査に代えている。
さらに、渡辺証人やM本証人によると、決裁権限は農林部長にあるが、知事に報告したところ、「評価が高かった申請者については、既にアグリビジネスで成功し、過去に1回、知事特認ということで補助を受けており、同じところに2度やるのは趣旨と違うのではないか。広く、県として補助するなら特定のところに集中してやるのはおかしいと指摘され、農林部内で再度検討の結果、不採択とした。」と証言しており、審査委員会に諮ることも無く、農林部内において数時間の検討でそれまでの結果を覆している。
4)また、(財)長崎県農業振興公社においては、諫早湾干拓地の入植応募者の審査に当たって選考委員会を設置、評価基準を作成し、点数化して応募者の評価を行うこととしていたが、その評価基準及び点数配分については、当初は、選考委員会で決定されているものの、後日、事務方の評価チームにより、点数配分等が修正され、選考委員会にかけることなく、変更後の配分で評価が行われてしまっている。
しかも、その後開かれた、選考委員会の冒頭で点数配分等の変更は承認され、すでに変更後の評価基準で行われた評価で、審査が行われている。
加えて、木村証人の証言によると、「選考資料を作成していただくのは事務局でございます。選考の原案という資料をつくる、それをもって一つひとつの検討をいたしましたので、そういう意味では事務局でございます。」とあるものの、実際には「原案を事務局から出されて、原案を根本からひっくり返すとか、大きな修正をするとかということはなかった。」と証言されており、事務局作成の案がそのまま採用されている実態からは、提案された内容に対して委員会でどの程度、審査されていたのか疑問であり、単に追認するだけで委員会の審査自体が形骸化していたのではないかと、推察される。
換言すると、事務方の主導により入植者が決定されたと言わざるを得ない。
さらに、実際の応募者の評価においては、2名を1班とする3つの班で行うとして、2名で調査に赴き、まず、(財)長崎県農業振興公社の嘱託職員が点数を付け、その後、もう1名と打ち合わせを行い、その後、全体会で調整をすることとしていた。
しかし、鰍s・G・Fを担当した班(以下「3班」という)は、他の班に比べて評価すべき件数は少ないにもかかわらず、1名での採点を行っただけで、打ち合わせを行わず、全体会に提出されている。
その結果、3班が受け持った16件のうち13件が評価点の変更されており(他の班は5件、12件)、他の班の修正点は2点以内であるのに対し、3点以上の変更が11件もあり、5点の変更を行っているものも2件ある。
また、3班では、同一班の調査員においても証言の食い違いが複数あり、評価点数に影響する販売先との契約書に類する書面の存在について、「見ておりません。」との証言に対し、「契約書じゃないんですが、カルビーとの販売についての、名前は忘れましたが、文面は忘れましたが、確約書みたいなのはありました。それは見ました。」との証言があることや、諫早湾干拓農地借受申出書の添付書類の送付については、「私は諫早の公社の方にも書類は一式送っていたと思います。」との証言に対し、「実は、諌早事務所には、そのコピーはありませんでした。」という証言が得られている。
さらに、選考調査票のすり合わせができなかった理由については、「少し片方が忙しくて、調整できなかった。」、「事前に相談を受け、するように言ったが、平山証人の場合には抱えている別の業務等で当日までにできていない現状だった。」、「どういうわけかよく覚えていないですが、10月24日当日にしか島田さんからもらえなかった。」、「確かに忙しかったと、言ったかもしれませんけども、どういうふうに忙しかったかもちょっと記憶にございませんが、島田さんのあれが遅れて、調整できなかった。」と、明確な理由は示されなかった。
以上のように、平山豊氏は、上司(松永参事)から出された指示に対し、評価の擦り合わせ、資料の配布等を行わず、また、評価事務処理途中で松永参事から出された、「21日と思うが、こちらから進捗状況を確認、できていないとのことでやるように指示。」に対しても従わず、結果、調整が行われていない点数が全体会に提出される事態を生じさせているが、このことは、職員個人の問題にとどまらず、組織として、十分な執行体制が取られていなかったことによるものと思われる。
さらには、選考委員会や評価チームの打ち合わせの際に、議事録等これに類するものは一切残されていない。
特に、選考委員会においては、情報の漏洩を防ぐためとして会議録を作成しないことを委員会で定めているのである。
もちろん情報漏洩の防止は大変重要なことであるが、会議録の作成自体が情報の漏洩につながるものではなく、より重要な、会議の内容を残すことにより、将来への禍根をなくすという効用を重要視すべきだったと考える。
また、調査者が入植応募者と面談した際の記録等にも存在しないものがあり、これらのことは、委員会での真実の究明を阻害する一因ともなっている。
これらのことから、長崎県農林部においては、入植事業に臨んで、審査を行う職員に対し、募集前や審査後に当該応募者との接触を許し、事務処理の遅滞を生じさせ、また、鰍s・G・Fの設立・入植に対し、過度とも思える関与を行うなど、公正・公平な事務を行っていたとは言い難いものである。
また、(財)長崎県農業振興公社においても、選考委員会を軽視したような事務処理が行われており、入植者選考の根幹となる点数評価についても、ルールが遵守されず、全体会での評価点の調整のあり方にも疑問が呈されるなど、透明性を欠く事務処理となっている。
平成25年3月には、諫早湾干拓地のリース期限が満了し、更新の事務を行うこととなっており、県農林部・(財)長崎県農業振興公社においては、今後の更新事務等において、客観性・透明性を確保するための業務執行体制を検討し、公正・公平な事務処理に努めることを強く求めるものである。
よって、本特別委員会は、長崎県及び(財)長崎県農業振興公社に対し、下記内容の決議を行う動議を提出することを決定した。
1)県農林部諫早湾干拓室営農推進班において、入植に関する事前の事務である意向調査や入植相談などを行っており、当時の班長であった、松永証人は、「平成16年当時ぐらいからいきますと、ほとんど今回の応募で実際入植されたところとの接点というのは、どっかで持っているぐらいです。本当にあの時新規というよりも、それ以前からのいろいろなご相談は受けておりました。それで、当時の件数としてですね、はっきりした記憶はございませんけれども、やっぱり記録だけでも数十件はあったかと思います。説明会というのを行っておりますので、その時には、すべての経営体を対象に、実際お会いして、こちらから説明をするという形をとっておりますので、諫干室の営農推進班としては、ほぼ応募があった以上の経営体との接触は持っていたと思っております。」と証言している。
しかし、営農推進班の職員は、(財)長崎県農業振興公社との併任職員で、同公社職員として、応募者の調査及び点数評価を行うなど、実質的な審査も担当する立場にあり、入植審査者が入植希望者へ入植指導を行うことについては、公平・公正で客観的な審査を阻害することにもなりかねず、県の方針が透明性の観点から適切であったと認めることはできず、県民の非難を免れることはできない。
2)さらに、鰍s・G・Fの設立に際しては、農地の借用申請や農業生産法人のあり方などについて、相談を受け、県農業会議も含め幾度となく対応しているが、通常、農地の借用に当たっては、所管する農業委員会に申請するものであり、事実、県と同席していた長崎市農業委員会の職員からは、申請先である大村市農業委員会を訪ねるよう指導されているが、実際には、鰍s・G・Fの設立後まで赴くことはなく、県・県農業会議への相談を繰り返している。
3)加えて、ながさき「食と農」支援事業の採択事務において、12月に書類は整っており、申請者から早急な事務処理を求められていたにもかかわらず、他の申請者に合わせて2月まで引き伸ばし、採択の決裁を行っているが、当該年度の申請件数は2件で、両方採択することは可能であったことから、必ずしも、2件を同時に決定する必要はないものである。
また、他方の申請者の審査の際に、1回目は審査委員会を開催して審査しているものの、2回目は審査委員会を開催することなく、書類を委員に送付し検討結果を返信してもらう方法で、審査に代えている。
さらに、渡辺証人やM本証人によると、決裁権限は農林部長にあるが、知事に報告したところ、「評価が高かった申請者については、既にアグリビジネスで成功し、過去に1回、知事特認ということで補助を受けており、同じところに2度やるのは趣旨と違うのではないか。広く、県として補助するなら特定のところに集中してやるのはおかしいと指摘され、農林部内で再度検討の結果、不採択とした。」と証言しており、審査委員会に諮ることも無く、農林部内において数時間の検討でそれまでの結果を覆している。
4)また、(財)長崎県農業振興公社においては、諫早湾干拓地の入植応募者の審査に当たって選考委員会を設置、評価基準を作成し、点数化して応募者の評価を行うこととしていたが、その評価基準及び点数配分については、当初は、選考委員会で決定されているものの、後日、事務方の評価チームにより、点数配分等が修正され、選考委員会にかけることなく、変更後の配分で評価が行われてしまっている。
しかも、その後開かれた、選考委員会の冒頭で点数配分等の変更は承認され、すでに変更後の評価基準で行われた評価で、審査が行われている。
加えて、木村証人の証言によると、「選考資料を作成していただくのは事務局でございます。選考の原案という資料をつくる、それをもって一つひとつの検討をいたしましたので、そういう意味では事務局でございます。」とあるものの、実際には「原案を事務局から出されて、原案を根本からひっくり返すとか、大きな修正をするとかということはなかった。」と証言されており、事務局作成の案がそのまま採用されている実態からは、提案された内容に対して委員会でどの程度、審査されていたのか疑問であり、単に追認するだけで委員会の審査自体が形骸化していたのではないかと、推察される。
換言すると、事務方の主導により入植者が決定されたと言わざるを得ない。
さらに、実際の応募者の評価においては、2名を1班とする3つの班で行うとして、2名で調査に赴き、まず、(財)長崎県農業振興公社の嘱託職員が点数を付け、その後、もう1名と打ち合わせを行い、その後、全体会で調整をすることとしていた。
しかし、鰍s・G・Fを担当した班(以下「3班」という)は、他の班に比べて評価すべき件数は少ないにもかかわらず、1名での採点を行っただけで、打ち合わせを行わず、全体会に提出されている。
その結果、3班が受け持った16件のうち13件が評価点の変更されており(他の班は5件、12件)、他の班の修正点は2点以内であるのに対し、3点以上の変更が11件もあり、5点の変更を行っているものも2件ある。
また、3班では、同一班の調査員においても証言の食い違いが複数あり、評価点数に影響する販売先との契約書に類する書面の存在について、「見ておりません。」との証言に対し、「契約書じゃないんですが、カルビーとの販売についての、名前は忘れましたが、文面は忘れましたが、確約書みたいなのはありました。それは見ました。」との証言があることや、諫早湾干拓農地借受申出書の添付書類の送付については、「私は諫早の公社の方にも書類は一式送っていたと思います。」との証言に対し、「実は、諌早事務所には、そのコピーはありませんでした。」という証言が得られている。
さらに、選考調査票のすり合わせができなかった理由については、「少し片方が忙しくて、調整できなかった。」、「事前に相談を受け、するように言ったが、平山証人の場合には抱えている別の業務等で当日までにできていない現状だった。」、「どういうわけかよく覚えていないですが、10月24日当日にしか島田さんからもらえなかった。」、「確かに忙しかったと、言ったかもしれませんけども、どういうふうに忙しかったかもちょっと記憶にございませんが、島田さんのあれが遅れて、調整できなかった。」と、明確な理由は示されなかった。
以上のように、平山豊氏は、上司(松永参事)から出された指示に対し、評価の擦り合わせ、資料の配布等を行わず、また、評価事務処理途中で松永参事から出された、「21日と思うが、こちらから進捗状況を確認、できていないとのことでやるように指示。」に対しても従わず、結果、調整が行われていない点数が全体会に提出される事態を生じさせているが、このことは、職員個人の問題にとどまらず、組織として、十分な執行体制が取られていなかったことによるものと思われる。
さらには、選考委員会や評価チームの打ち合わせの際に、議事録等これに類するものは一切残されていない。
特に、選考委員会においては、情報の漏洩を防ぐためとして会議録を作成しないことを委員会で定めているのである。
もちろん情報漏洩の防止は大変重要なことであるが、会議録の作成自体が情報の漏洩につながるものではなく、より重要な、会議の内容を残すことにより、将来への禍根をなくすという効用を重要視すべきだったと考える。
また、調査者が入植応募者と面談した際の記録等にも存在しないものがあり、これらのことは、委員会での真実の究明を阻害する一因ともなっている。
これらのことから、長崎県農林部においては、入植事業に臨んで、審査を行う職員に対し、募集前や審査後に当該応募者との接触を許し、事務処理の遅滞を生じさせ、また、鰍s・G・Fの設立・入植に対し、過度とも思える関与を行うなど、公正・公平な事務を行っていたとは言い難いものである。
また、(財)長崎県農業振興公社においても、選考委員会を軽視したような事務処理が行われており、入植者選考の根幹となる点数評価についても、ルールが遵守されず、全体会での評価点の調整のあり方にも疑問が呈されるなど、透明性を欠く事務処理となっている。
平成25年3月には、諫早湾干拓地のリース期限が満了し、更新の事務を行うこととなってもおり、県農林部・(財)長崎県農業振興公社においては、今後の更新事務等において、客観性・透明性を確保するための業務執行体制を検討し、公正・公平な事務処理に努めることを強く求めるものである。
以上、決議する。
5. 金子原二郎前長崎県知事(現参議院議員)及び谷川弥一元農林水産大臣政務官(現衆議院議員)の株式会社T・G・Fの入植等に係る対応を非難する声明の提出
1)金子原二郎氏については、まず、入植応募者は募集締切の翌日に知ったと当時の記者会見の場で発言しているが、実際には、鰍s・G・Fの入植については、娘から聞いて知ったという新聞記事があることから募集締切前に知っていたものと考えられることや、渡辺証人の「第4回選考委員会の情報を事前に報告していた。」との証言から、鰍s・G・Fの入植の経過については、承知しうる立場にあったのみならず、関心を持っていたものと十分推察できる。
また、娘婿が新しく設立し、娘も役員となっている企業が、諫早湾干拓地への入植に応募したことを知り、「まずい」と思ったと新聞記事にはあるが、その後、嫁ぎ先の会社の経営に口出しできないなどとして、そのまま放置した結果、身内の会社が入植を果たすこととなった。
さらに、ながさき「食と農」支援事業においては、事前の審査委員会で高評価であった事業者が、最終の知事レクによって不採択となる経過を辿っているが、報告を受けていないにもかかわらず、その事業者の過去の補助の状況を知っていたり、当該事業者が周囲から鰍s・G・Fへの協力要請を受けていたことなどの実態が明らかとなった。
2)一方、谷川弥一氏については、まず、樺J川建設から連なる系列の会社の経営には、関与していないとの谷川喜一氏からの証言はあるが、入植時に当初設立を企図していた樺J川農場(仮称)には、役員として名を連ねている。
これについて、谷川喜一証人は、「通常の商業法人をつくる中での親族企業の在り方で構成されてあったというふうに思いますので、そういった認識でありました。」と証言しているが、このことは、親族会社に谷川弥一氏が入ることを想定していることになり、経営に関与していないとの証言に疑念を抱かせるものである。
次に、長崎県農業改良普及センターに対して行った営農相談の記録にオリーブ等について会長に相談するとの記載があることが明らかになった。
当時、会長といえば谷川弥一氏を指すものであるが、これに対し、谷川喜一氏は、「あくまでも社長である自分と相談を行った。」との証言をしているものの、証言より記録の信憑性が高いと言わざるを得ない。
さらに、鰍s・G・Fの入植が記事になると、「取締役をやめさせる。」や「当初は入植者が少なかったため、失敗させたらいけないと思い申し込んだ。」という発言の新聞記事があるなど、鰍s・G・Fへの関与は明らかであり、入植に大きな関心を寄せていたことは疑う余地がない。
加えて、谷川喜一証人の、「谷川代議士の元秘書である山下氏に依頼して、農林水産省の職員を紹介してもらい、その職員からカルビーポテトを紹介してもらった。」との証言があり、これに対し、山下証人は、「カルビーの件で、谷川喜一氏から相談を受けた記憶はない。」と証言し、両者の意見は一致を見ないが、依頼を行ったことを認めている発言は、谷川弥一氏の関与を色濃くするものである。
3)さらに両者の存在があったからこそと考えられる疑念として、第1に鰍s・G・Fの設立や借地の申請にかかる相談を所管市の農業委員会ではなく、県農業会議や県に対して行っていること。
第2に関係者の証言や提出された資料からは、鰍s・G・Fの各種申請等の内容に虚偽と認めざるを得ない記載があるにもかかわらず、特に問題とすることもなく認定等が行われていること。
第3に認定等にかかる事務について、大村市農業委員会や大村市において異例の速さで事務処理が行われていること等も明らかとなった。
なぜ、鰍s・G・Fの各種申請等に絡んで、異例とも思われるような処理が公的機関で行われたのかについて、その真相を究明するまでには至らなかったが、当時の権力者である農林水産大臣政務官であった谷川衆議院議員の存在、並びに、当時の県の農林行政の最高責任者である長崎県知事であった金子参議院議員の存在とともに、さらには、両者が姻戚関係にあるといったことが、事務方をして、圧力を感じさせていたことが影響しているものと、推察できるところであり、国会でも取り上げられたことも含め、一般的に疑念を拭い去ることはできないものである。
4)こうしたことから、金子原二郎氏においては、当時の長崎県知事という立場を考えると、これだけ多大な国費や県費を投じてなされた諫早湾干拓事業を成功させるために、有望でかつ有能な農業者の入植を優先させるべきであり、本来、身内に対して、一般より厳しい態度で接すべきであった。
しかしながら、本人の身内の入植申し込みに対し、「まずい」と思いながらこれを放置し、入植選定の事務を進めさせたことは、本当に「まずい」と思ったのか、県民に知られなければそれでよしとし、あるいは、逆にうまく入植できれば、との思いがあったのかは、推測の限りではないが、しかし、莫大な公費を投入するなか、本県の農業振興のあり方として画期的な大規模農業を実践するものとして、県民期待の事業であり、それを担う選ばれた経営体としては、本来は、農業のみで成り立つべきものであり、生産性を高め、農業収入を上げることで、本県農業の牽引役としての役割を期待されているものであることを考慮すると、かかる、身内に甘い対応は、県民の利益・信頼よりも身内の企業の利益を優先させるものとして、県民の怒りや非難を免れるものではない。
一方、谷川弥一氏においては、身内の法人である鰍s・G・Fを設立させ、入植させるということに関与したということは、これまでの証言等から疑いのないところである。
当時、農林水産大臣政務官という諫早湾干拓事業に大きな影響をもたらす立場にあり、公平・公正に事業を推進するという職責を果たすべきにも拘らず、自身の身内に利益をもたらさんとするかのものとして、県民感情からして容認することができないのみならず、金子原二郎氏と同様、その姿勢は、非難されるべきものである。
5)これらのことから、本委員会は両名に対し、証人として出頭を要請する必要があるものと判断し、出頭請求を行ったものであるが、両名ともに不出頭の届けがなされ、出頭に応じなかった。
その理由において、両名とも同様に「他の証人の証言等により自分の潔白は立証されていること」、「委員会の運営が公平・公正でないこと」を挙げている。
第1の理由は、被請求者が自らの判断で出頭の必要は無いとしたものであるが、これが認められるのであれば、委員会において必要性を認め決定した出頭請求であっても、被請求者が不要であると主張するだけで、すべてを無効とすることが可能となり、地方自治法第100条の権限を与えられた委員会は、真相究明の手段を失い、形骸化してしまうものである。
また、第2の理由については、一度も当委員会に出席しておらず、事実を認知することもなく非難だけを行っているに過ぎないものである。
よって、本委員会は、当該理由が正当な理由に当たらないとして告発を行うことを決定し、その後、再度、出頭を求めたが、これについても、前と同様の理由により出頭を拒否した。
これにより、2度にわたる、委員会としての決定、議会の議決を行うこととなり、結果、2度の刑事告発を行ったところであり、現在、国会議員という立場にある者として、まことに異例の事態となった。
地方自治の両輪のトップである知事・議長として、地方自治に携わったものが、諫早湾干拓事業の入植者選定に関する調査のため適正な事務のもと行われた百条委員会を無視し、踏みにじるような姿勢を持つということは、法に照らした制度や審議を毀損し、また、真相を究明すべきとする県民の期待を裏切るものとして到底許されるものではなく、委員会に出席して主張することこそが、両名に対し、県民から強く求められていたことからしても、このように不遜な自己の主張のみに基づく、一方的な行為については、当委員会として断固、抗議せざるを得ない。
本来、国家の重責を担う公人として、また、当時、諫早湾干拓事業の本県における責任ある立場にいた者として、堂々と出頭して証言をすべきにもかかわらず、正当な理由もなく、出頭を拒否することは、まことに遺憾の極みであり、このことにより、真相究明を困難にし、かえって、疑惑が深まることとなり、本委員会としては、他の証言から得られた事実や提出された資料により、推察せざるを得ない結果となったものである。
よって、本特別委員会は、金子原二郎前長崎県知事(現参議院議員)及び谷川弥一元農林水産大臣政務官(現衆議院議員)の鰍s・G・Fの入植等にかかる対応を非難する声明にかかる動議を提出することを決定した。
1)金子原二郎氏については、まず、入植応募者は募集締切の翌日に知ったと当時の記者会見の場で発言しているが、実際には、鰍s・G・Fの入植については、娘から聞いて知ったという新聞記事があることから募集締切前に知っていたものと考えられることや、渡辺証人の「第4回選考委員会の情報を事前に報告していた。」との証言から、鰍s・G・Fの入植の経過については、承知しうる立場にあったのみならず、関心を持っていたものと十分推察できる。
また、娘婿が新しく設立し、娘も役員となっている企業が、諫早湾干拓地への入植に応募したことを知り、「まずい」と思ったと新聞記事にはあるが、その後、嫁ぎ先の会社の経営に口出しできないなどとして、そのまま放置した結果、身内の会社が入植を果たすこととなった。
さらに、ながさき「食と農」支援事業においては、事前の審査委員会で高評価であった事業者が、最終の知事レクによって不採択となる経過を辿っているが、報告を受けていないにもかかわらず、その事業者の過去の補助の状況を知っていたり、当該事業者が周囲から鰍s・G・Fへの協力要請を受けていたことなどの実態が明らかとなった。
2)一方、谷川弥一氏については、まず、樺J川建設から連なる系列の会社の経営には、関与していないとの谷川喜一氏からの証言はあるが、入植時に当初設立を企図していた樺J川農場(仮称)には、役員として名を連ねている。
これについて、谷川喜一証人は、「通常の商業法人をつくる中での親族企業の在り方で構成されてあったというふうに思いますので、そういった認識でありました。」と証言しているが、このことは、親族会社に谷川弥一氏が入ることを想定していることになり、経営に関与していないとの証言に疑念を抱かせるものである。
次に、長崎県農業改良普及センターに対して行った営農相談の記録にオリーブ等について会長に相談するとの記載があることが明らかになった。
当時、会長といえば谷川弥一氏を指すものであるが、これに対し、谷川喜一氏は、「あくまでも社長である自分と相談を行った。」との証言をしているものの、証言より記録の信憑性が高いと言わざるを得ない。
さらに、鰍s・G・Fの入植が記事になると、「取締役をやめさせる。」や「当初は入植者が少なかったため、失敗させたらいけないと思い申し込んだ。」という発言の新聞記事があるなど、鰍s・G・Fへの関与は明らかであり、入植に大きな関心を寄せていたことは疑う余地がない。
加えて、谷川喜一証人の、「谷川代議士の元秘書である山下氏に依頼して、農林水産省の職員を紹介してもらい、その職員からカルビーポテトを紹介してもらった。」との証言があり、これに対し、山下証人は、「カルビーの件で、谷川喜一氏から相談を受けた記憶はない。」と証言し、両者の意見は一致を見ないが、依頼を行ったことを認めている発言は、谷川弥一氏の関与を色濃くするものである。
3)さらに両者の存在があったからこそと考えられる疑念として、第1に鰍s・G・Fの設立や借地の申請にかかる相談を所管市の農業委員会ではなく、県農業会議や県に対して行っていること。
第2に関係者の証言や提出された資料からは、鰍s・G・Fの各種申請等の内容に虚偽と認めざるを得ない記載があるにもかかわらず、特に問題とすることもなく認定等が行われていること。
第3に認定等にかかる事務について、大村市農業委員会や大村市において異例の速さで事務処理が行われていること等も明らかとなった。
なぜ、鰍s・G・Fの各種申請等に絡んで、異例とも思われるような処理が公的機関で行われたのかについて、その真相を究明するまでには至らなかったが、当時の権力者である農林水産大臣政務官であった谷川衆議院議員の存在、並びに、当時の県の農林行政の最高責任者である長崎県知事であった金子参議院議員の存在とともに、さらには、両者が姻戚関係にあるといったことが、事務方をして、圧力を感じさせていたことが影響しているものと、推察できるところであり、国会でも取り上げられたことも含め、一般的に疑念を拭い去ることはできないものである。
4)こうしたことから、金子原二郎氏においては、当時の長崎県知事という立場を考えると、これだけ多大な国費や県費を投じてなされた諫早湾干拓事業を成功させるために、有望でかつ有能な農業者の入植を優先させるべきであり、本来、身内に対して、一般より厳しい態度で接すべきであった。
しかしながら、本人の身内の入植申し込みに対し、「まずい」と思いながらこれを放置し、入植選定の事務を進めさせたことは、本当に「まずい」と思ったのか、県民に知られなければそれでよしとし、あるいは、逆にうまく入植できれば、との思いがあったのかは、推測の限りではないが、しかし、莫大な公費を投入するなか、本県の農業振興のあり方として画期的な大規模農業を実践するものとして、県民期待の事業であり、それを担う選ばれた経営体としては、本来は、農業のみで成り立つべきものであり、生産性を高め、農業収入を上げることで、本県農業の牽引役としての役割を期待されているものであることを考慮すると、かかる、身内に甘い対応は、県民の利益・信頼よりも身内の企業の利益を優先させるものとして、県民の怒りや非難を免れるものではない。
一方、谷川弥一氏においては、身内の法人である鰍s・G・Fを設立させ、入植させるということに関与したということは、これまでの証言等から疑いのないところである。
当時、農林水産大臣政務官という諫早湾干拓事業に大きな影響をもたらす立場にあり、公平・公正に事業を推進するという職責を果たすべきにも拘らず、自身の身内に利益をもたらさんとするかのものとして、県民感情からして容認することができないのみならず、金子原二郎氏と同様、その姿勢は、非難されるべきものである。
5)これらのことから、本委員会は両名に対し、証人として出頭を要請する必要があるものと判断し、出頭請求を行ったものであるが、両名ともに不出頭の届けがなされ、出頭に応じなかった。
その理由において、両名とも同様に「他の証人の証言等により自分の潔白は立証されていること」、「委員会の運営が公平・公正でないこと」を挙げている。
第1の理由は、被請求者が自らの判断で出頭の必要は無いとしたものであるが、これが認められるのであれば、委員会において必要性を認め決定した出頭請求であっても、被請求者が不要であると主張するだけで、すべてを無効とすることが可能となり、地方自治法第100条の権限を与えられた委員会は、真相究明の手段を失い、形骸化してしまうものである。
また、第2の理由については、一度も当委員会に出席しておらず、事実を認知することもなく非難だけを行っているに過ぎないものである。
よって、本委員会は、当該理由が正当な理由に当たらないとして告発を行うことを決定し、その後、再度、出頭を求めたが、これについても、前と同様の理由により出頭を拒否した。
これにより、2度にわたる、委員会としての決定、議会の議決を行うこととなり、結果、2度の刑事告発を行ったところであり、現在、国会議員という立場にある者として、まことに異例の事態となった。
地方自治の両輪のトップである知事・議長として、地方自治に携わったものが、諫早湾干拓事業の入植者選定に関する調査のため適正な事務のもと行われた百条委員会を無視し、踏みにじるような姿勢を持つということは、法に照らした制度や審議を毀損し、また、真相を究明すべきとする県民の期待を裏切るものとして到底許されるものではなく、委員会に出席して主張することこそが、両名に対し、県民から強く求められていたことからしても、このように不遜な自己の主張のみに基づく、一方的な行為については、本県議会としても断固、抗議せざるを得ない。
本来、国家の重責を担う公人として、また、当時、諫早湾干拓事業の本県における責任ある立場にいた者として、堂々と出頭して証言をすべきにもかかわらず、正当な理由もなく、出頭を拒否することは、まことに遺憾の極みであり、このことにより、真相究明を困難にし、かえって、疑惑が深まることとなり、本県議会としては、他の証言から得られた事実や提出された資料により、推察せざるを得ない結果となったものである。
6. 大村市農業委員会及び大村市並びに諫早市農業委員会、諫早市の事務処理に係る所見
[1 1)でも述べたとおり、「農業経営基盤強化促進事業申出書」の農業従事に関する記載については、虚偽の内容となっている。
また、通常、農業生産法人と認知されるまでには、2ヶ月〜1年程度かかるが、鰍s・G・Fは「農業経営基盤強化促進事業申出書」を平成19年2月12日付けで提出すると、2月27日に承認、3月9日に公告されるというスケジュールで進んでおり、提出してから承認されるまで、わずか2週間強、公告まで含めても1ヶ月弱で事務処理が終了しており、異例の速さとなっている。
次に、「農業経営改善計画認定申請書」には、諫早湾干拓地の農地取得が、取得面積も60haと明示された状態で記載され、あたかも入植が決定しているかのごとき記載となっており、記載内容は、あくまでも5年後の計画であるとは言え、実現の可能性については検討が必要だったと考える。
また、8月21日付で作成し、諫早市に提出後、大村市に提出した申請書においても、谷川喜一氏の農業従事日数年間見通し90日、谷川富貴氏は150日とされており、前述した、谷川喜一氏の勤務状況、谷川富貴氏が妊婦であることから、実現不可能としか思えない数字が羅列されている。
さらに、平成19年6月18日に大村市に申請され、6月20日で受理された農業経営改善計画認定申請書が、6月21日に起案され、同日付で決裁、認定されている。
この時は20件の申請に対する処理がなされているが、中には、6月20日申請分が2件含まれており、鰍s・G・Fの案件のみの手続きが早いわけではなく、審査会の前日に申請されているものもあるが、審査会の直前に受け付けたものを直ちに審査会に上げ、認定審査を行うという事務処理のあり方が適正であるか疑問の残るところである。
また、諫早市農業委員会に8月21日に提出した農業経営改善計画認定申請書と同じ内容に修正した申請書を8月23日に大村市に提出しているが、申請日及び受付日が当初の申請時と同じ日付で整理されており、6月21日で決裁された「農業経営改善計画認定申請書」に不合理な内容があったことが推測され、これを無視して決裁されたことに、疑問が残る。
これら2件の申請においては、申請から認定等までに事務処理の速さや、修正申請書の受け付け方など、事務処理の異例さが目立ち、疑問の残る事務処理が行われている。
また、申請内容について、虚偽と認められる内容も含まれているにもかかわらず、問題になることなく承認されていることから、申請書の審査も内容を鵜呑みにし、形骸化したものとなっていると指摘せざるを得ない。
これらの、審査に当たって、直接の圧力はなかったと証言がなされているが、その事務処理の異例さや審査の形骸化等について合理的な説明はなく、その証言の信用性は認められなかった。
これは、谷川弥一氏・金子原二郎氏の存在があったことが影響したものと疑われるものである。
よって、今後、大村市農業委員会及び大村市に対し、更なる事務処理の公平・公正を確保し、申請に対する内容審査に、より慎重な対応を求めるものである。
また、今回、審査に多くの時間は割かれなかったが、諫早市農業委員会及び諫早市においても、鰍s・G・Fから同様の申請がなされ、認定等がなされていることから、諫早市農業委員会及び諫早市に対しても内容審査に、より慎重な対
応を求めるものである。
本委員会の審査の過程において、(財)長崎県農業振興公社の運営については、平成24年3月末現在で、リース料の滞納が、1,700万円強あることが判明した。
現在のリース料は、当初設定の2万円から減額し、1万5千円としているが、平成25年度からは当初設定額に戻す予定であるとされている。
現在は、リース料収入に県からの借り入れを合わせて、(財)長崎県農業振興公社の借入金の返済に充てているが、リース料改定後においても平成30年度からは、(財)長崎県農業振興公社の返済のために、新たに県からの借り入れが必要となっている。
このように滞納が続くようであれば、今後の償還計画にも影響を及ぼしかねない状況であり、平成23年度包括外部監査の際にも指摘を受けているものである。
今後、リース料の改定がスムーズに実施されるのか、改定された場合でも、リース料の回収が滞ることがないか不安要素は払拭できない。
しかしながら、(財)長崎県農業振興公社においては、かかる不安要素を抱えながら、また、来年度は再設定(リースの更新)の時期を迎えるにもかかわらず、入植者の経営状況などの把握もしておらず、直面する問題に真剣に取り組む姿勢があるのか疑問である。
農林部長((財)長崎県農業振興公社副理事長)は、本委員会において、「特にリース料の未納というものにつきましては、利用の継続の判断基準として持っていきたい。」との発言があったが、入植者の経営状況や営農意欲等の十分な把握を通じて、莫大な税金を投入して造成された諫早湾干拓地にあって、適正なリース料の設定と、債権の回収を行うことはもとより、入植者の今後の更新等に当たっては、厳正な対応が必要である。
また、超長期となる弁済については、収入の確保、適正な経費の見積もりなどによる確実な返済計画が必要であり、そのためには、貸付の枠組みそのものに対する再考はもとより、(財)長崎県農業振興公社のあり方も含めた諫早湾干拓地の営農にかかる推進体制と方策等を検証する必要がある。
県議会・県政改革特別委員会での審査の中で、手続きの不透明さが問題となり、設置された、地方自治法第100条の権限を付託された「諫早湾干拓事業における入植者選定に関する調査特別委員会」は、平成23年9月12日に第1回の委員会を開催して以来、10ヵ月にわたり、24回開催し、参考人、証人の招致は、延111人を数えた。
しかし、その証人のうち延37名には出頭していただくことが叶わず、延27名を告発せざるを得ない結果となっている。
真実の探求のために地方自治法第100条の権限を付託された本委員会ではあるが、証人の出頭や記録の提出について、罰則規定はあるものの、一度、先方が出頭や提出を拒否する態度に出ると、強制的に実現させる手段を持ち得ないことも事実であり、真実の探求という面では、なお、高い壁が存在する。
これにより、最も重要な人物を出頭させることもできない状況であり、委員会の判断もそれまでに出席された証人等の発言や記録から考察するしかなく、すべての真相を究明するところまでには至っておらず、まことに遺憾である。
しかしながら、多角的な視点から、多数の関係書類の徴求や、多様な証人の証言を求めることなどを通じて、多岐にわたる事実関係を明らかにしつつ、予断を持たず慎重に諫早湾干拓事業における入植者選定に関する当時の状況を解明していった。
その結果、鰍s・G・Fの各種申請等の内容に虚偽と認定される記載があること、認定等にかかる事務について、大村市農業委員会や大村市において異例の速さで事務処理が行われていること、さらには、谷川喜一氏の証言が虚偽であること等が明らかになった。
また、鰍s・G・Fの各種申請等に絡んで、異例とも思われるような処理が公的機関で行われたのかについて、その真相を究明するまでには至っていないが、当時の権力者である農林水産大臣政務官であった谷川衆議院議員の存在、並びに、当時の県の農林行政の最高責任者である長崎県知事であった金子参議院議員の存在とともに、さらには、両者が姻戚関係にあるといったことが、事務方をして、圧力を感じさせていたことが影響していたのではないかとの疑念を表明するものである。
加えて、(財)長崎県農業振興公社における入植選定業務においても、評価基準の決定に至る過程や、評価のやり方に疑問を呈さざるを得ない内容があり、鰍s・G・Fの設立から入植に至るまでの全体を通して、鰍s・G・Fの入植ありきではなかったのかとの疑念がより明らかになった。
よって、関係した機関においては、今後、かかる疑惑を受けることがないよう、常に適正で公正・公平な事務に努めるよう求めるものである。
本委員会としては、今後も、更なる真相の究明を目指して、審査を進めてまいります。
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