全国被爆体験者協議会の今年度の総会が、かつて協議会の産声を上げたここ旧三和町において、多くの会員の皆様のご出席の中で盛会裏に開催されますことを、先ずもって心からお喜び申し上げます。
また、本日の総会を通じて会員皆様相互の一層の連携強化と協議会の益々の拡充が図られますことを衷心より祈念申し上げる次第であります。
さて、今日、原爆症認定基準について国の誤りを糺す原爆症認定訴訟や、被爆者はどこにいても被爆者という原則を訴える在外被爆者訴訟において国の敗訴が続き、その結果、被爆者援護の関係法令が改正されたことは、既にご案内のとおりであります。
被爆者に対する援護対策を制限していこうとする、あるいは、社会的弱者を切り捨てていこうとするこれまでの国の取り組みが、厳正な法に照らしていかに間違ったものであったかが明らかにされたのであります。
その不合理極まりない差別的な取り扱いが、平然と行われている最大の問題が、被爆体験者についての援護対策であります。
そもそも国によって被爆地域と認定されたのは、原爆落下当時、地図の上に記された当時の旧長崎市とこれに隣接する僅か一部の区域であります。単に行政区域という人為的に区切られた目に見えない地図上の線引きをもって振り分けられてしまいました。
その旧長崎市の行政区域は南北に長く、東西に短い縦長の形をしておりますが、爆心地からの最大距離は約十二キロメートルであります。
原爆の放射線や爆風や熱線は同心円状に広がってまいります。したがって、原爆被害の強弱は基本的に爆心地からの距離によって決まることは、まさに自明の理であります。
被爆者は、どこにいても被爆者であるように、爆心地から半径十二キロメートル以内で被爆した人はどこで被爆しても被爆者であります。にもかかわらず、国は同じ十二キロメートル内で被爆した人たちを被爆者と被爆体験者に選別するという非科学的な態度に立脚し、かつ、不合理な施策を不合理な弥縫乗り切ろうとしているために、いつまでも援護の空白地帯を解消できずにいるのであります。
爆心地から同距離で、あるいは、より近い距離で被爆しながら、何故、被爆者と被爆体験者という違いが設けられなければならないのか、強い憤りを禁じることが出来ません。
被爆体験者の皆さんは、被爆者と同様原爆による精神的苦痛に加え、数多くの身体疾患をかかえ、日常生活の中で大きなハンディを背負っております。高齢化が進む中、不安は増大し、やり場のない憤りは高まるばかりであります。
こうしたことから、この不合理な差別を法と正義に照らし解消するため、皆様方は昨年十一月十五日に第一次の提訴以来、今日まで短期間に第二次、第三次等の提訴を行い、原告団もまれに見る多人数に上っています。
経済的な負担もかかります。いろいろな健康障害を抱える中で、体力の消耗や精神的な重圧もかかりますが、それらを承知のうえで敢えて訴訟に踏み切られました。こうした皆様方の勇断に深く敬意を表しますとともに、一日も早く他の原爆関係訴訟同様、原告勝訴の判決が下されることを心から念願申し上げる次第であります。
幸いなことに、皆様方の身を削る取り組みが大きな契機となって、今般、民主党の関係国会議員の皆様のご尽力により、被爆体験者を被爆者とするための被爆者援護の関係法令の改正案が調整され、民主党発案の議員立法として国会に提出する準備が進んでいます。何としても成立をみるよう政治の力に強く期待するばかりでありますが、我々としても、こうした取り組みを後押しするための世論提起に努力していく必要があると存じます。
道は険しくとも必ず目的は成就すると確信を致しております。そのために訴訟遂行はもとより必要な行動につき一層の団結を重ねて祈念申し上げますとともに、ご出席の皆様方のご健勝、ご多幸をお祈り申し上げ、そしてまた、公務のため、本日の重要な総会に出席がかなわなかったことをお詫び申し上げまして、私のメッセージとさせていただきます。
全国被爆体験者協議会顧問
長崎県議会議員
前三和町長
比良 元